『マリモの唄』歌碑
阿寒湖(北海道釧路市)といえば特別天然記念物のマリモですが、青函連絡船で北海道に渡った時代は、阿寒湖のマリモを見るというのは夢のような話でした。そんな昭和28年、大ヒットしたのが『マリモの唄』。阿寒湖畔に『マリモの唄』歌…
阿寒湖(北海道釧路市)といえば特別天然記念物のマリモですが、青函連絡船で北海道に渡った時代は、阿寒湖のマリモを見るというのは夢のような話でした。そんな昭和28年、大ヒットしたのが『マリモの唄』。阿寒湖畔に『マリモの唄』歌…
昭和47年2月に北海道札幌市で開催された『1972年札幌オリンピック』のテーマ曲が『虹と雪のバラード』(作詞:河邨文一郎、作曲:村井邦彦)。『虹と雪のバラード』歌碑は2月11日、札幌オリンピックのスキージャンプ競技90m…
ダムの中でももっとのポピュラーな形式が重力式コンクリートダム(concrete gravity dam) 。重力式ダムと略されるように、ダム堤体の自重でダム湖の水圧に耐えるスタイルのダムです。そのためには花崗岩や安山岩な…
中心部の粘土質のコア材(遮水壁)を入れ、岩石や土砂を積み上げて建設するダムが、ロックフィルダム(Rockfill dam)。地盤の問題でコンクリートダムが建設できない場所に築かれるダムです。ダム本体の体積では日本のトップ…
黒部ダムなどでおなじみのアーチダム。正しくはアーチ式コンクリートダム(Concrete Arch Dam)で、コンクリートの量を節約できますが、ダムに掛かる水圧をアーチにより両側の岩盤に分散させる必要があるため、両岸に強…
岩手県和賀郡西和賀町(旧・湯田町)を流れる和賀川(わがかわ)を堰き止め、昭和39年に完成した重力式アーチダムが湯田ダム。堤高89.5m、洪水調節、不特定利水、水力発電を目的とした多目的ダムで、ダム湖は10月中旬~10月下…
大正7年、旧呉鎮守府水道の貯水池として、築造された水道用のダムが本庄水源地堰堤(本庄ダム)。堤高25m、堤頂長97mで、完成当時には東洋一の規模を誇っていました。稼働している水道施設としては全国初の国の重要文化財。通常時…
昭和9年に東海林太郎(しょうじたろう)が歌った大ヒット曲『赤城の子守唄』(作詞:佐藤惣之助・作曲:竹岡信幸)、そして昭和14年の『名月赤城山』(作詞:矢島寵児・作曲:菊地博)。国定忠治と赤城山をテーマにしたこの2曲の歌碑…
「日本三大」と称するものは数ありますが、日本三大美堰堤(にほんさんだいびえんてい)は、聞き慣れない三大の筆頭。しかし、その歴史とナイアガラの滝的な美しさは、まさに日本三大美堰堤というべきもの。堰堤は小規模ダムのことで、秋…
武田家滅亡の始まりともいえる長篠の戦い。愛知県新城市、新東名高速道路・長篠設楽原パーキングエリア近くの茶臼山(ちゃうすやま)にあるのが長篠設楽原古戦場(ながしのしたらがはらこせんじょう)の織田信長戦地本陣跡。織田信長は長…
愛知県新城市、新城市設楽原歴史資料館近くにある塚。信玄塚と名が付いてはいますが、天正3年5月21日(1575年6月29日)の長篠・設楽原の戦い(長篠の戦い)の時にはすでに武田信玄は亡くなっています。信玄原(武田軍主陣地)…
愛知県新城市、長篠の戦いの設楽原決戦の地近くにのが新城市設楽原歴史資料館。織田・徳川連合軍が鉄砲3000丁、馬防柵を準備して武田の騎馬隊を退けたとされる「長篠・設楽原の戦い」と幕末の日米修好通商条約調印の立役者である岩瀬…
愛知県新城市、長篠城(ながしのじょう)を眼前にする有海原の篠場野に立つ碑が鳥居強右衛門磔死之碑(とりいすねえもんたくしのひ)。長篠の戦いの際、徳川家康(岡崎城)への救援要請という重要な使命を負って豊川を泳ぎ下って長篠城の…
現在の愛知県新城市を舞台にした長篠の合戦の激戦地、長篠設楽原古戦場(ながしのしたらがはらこせんじょう)。武田軍のは精鋭の騎馬隊を誇りましたが、織田・徳川連合軍は、設楽原中央を流れる連吾川の西岸に馬防柵を2kmに渡って築き…
愛知県新城市、長篠設楽原古戦場(ながしのしたらがはらこせんじょう)にある、決戦の際に弾正山( だんじょうやま )に構えた徳川家康本陣跡。武田軍に包囲され籠城した長篠城を救援するため徳川家康は設楽原に出陣し、弾正山に陣を構…
長篠の戦いで有名な愛知県新城市(しんしろし)を流れる豊川を堰き止めて明治45年に築かれたダムが長篠堰堤(ながしのえんてい)。水は、発電機と水車を上下に繋いだ日本初の縦軸式水車発電所の長篠発電所に導水されています。白水ダム…
京都府南丹市日吉町を流れる桂川(淀川水系)に平成9年に完成した堤高67.4mの重力式コンクリートダムが日吉ダム。ダム湖は、水没地区の地名を採って天若湖(あまわかこ)と名付けられ、ダム湖百選に選定。ダム湖周辺は観光地として…
兵庫県神戸市中央区、山陽新幹線新神戸駅の北、700mほどのところにあるのが布引五本松堰堤(布引ダム)。開港後の神戸居留地には慢性的な水不足があり、神戸港寄港の船に水を供給する必要もあり、明治33年、日本最初の重力式コンク…