海軍航空隊掩体壕群(城井一号掩体壕史跡公園)
掩体壕(えんたいごう)とは、軍用機を敵の空襲から守るためのコンクリート製格納庫。 大分県宇佐市城井地区に現存する城井一号掩体壕は、宇佐海軍航空隊の戦争遺跡。宇佐海軍航空隊は、昭和14年10月に編成された実用機の…
掩体壕(えんたいごう)とは、軍用機を敵の空襲から守るためのコンクリート製格納庫。 大分県宇佐市城井地区に現存する城井一号掩体壕は、宇佐海軍航空隊の戦争遺跡。宇佐海軍航空隊は、昭和14年10月に編成された実用機の…
掩体壕(えんたいごう)とは航空機を敵の攻撃から守るための格納庫。大分県佐伯市の海岸部に残される旧佐伯海軍航空隊掩体壕は、昭和9年2月15日に発足した大日本帝国海軍・佐伯海軍航空隊の戦争遺跡。コンクリート製かまぼこ型の掩体…
第二次世界大戦以前、大分県と愛媛県に挟まれた豊後水道(ぶんごすいどう)には豊予要塞(ほうよようさい)として、砲台などが次々と建設されました。大分県佐伯市側の鶴見半島先端に位置する鶴御崎(つるみさき)もそのひとつ。丹賀砲台…
大分県佐伯市の南西、標高144mの城山に、1606(慶長11)年、築城の名人・毛利高政が築いたと伝わる平山城が、佐伯城(さいきじょう)。山頂の本丸周辺には石垣しか残されていませんが、麓の佐伯文化会館横には、佐伯藩3代当主…
大分県佐伯市の南西、標高144mの城山に、慶長11年(1606年)、築城の名人・毛利高政(もうりたかまさ)が築いたと伝わる平山城の城が佐伯城跡(さいきじょうせき)。舞鶴のような姿から「鶴屋城」との別名を有しています。江戸…
東海道五十三次、江戸から数えて52番目、中山道六十九次68番目の宿場である東海道草津宿(滋賀県草津市)は、中山道との追分(分岐)にもあたり多くの旅人で賑わいました。「旅は人と文化の交流」という視点から、東海道草津宿や近江…
東海道五十三次のうち、江戸から52番目の宿場、中山道六十九次のうち江戸から68番目の宿場が滋賀県草津市の草津宿。東海道と中山道の追分、京の入口という交通の要衝で100軒をこえる旅籠が軒を連ねた宿場で、草津宿本陣の遺構が現…
東海道では貴重な本陣遺構が残る二川宿(ふたがわしゅく/愛知県豊橋市)。商家「駒屋」は、二川宿で商家を営むかたわら、問屋役や名主などを勤めた田村家の遺構で、主屋・土蔵など8棟の建物が現存し、公開されています。二川宿の本陣と…
東海道二川宿(ふたがわしゅく/愛知県豊橋市)にある旧東海道の本陣遺構で、東海道で現存するのは近江・草津宿(滋賀県草津市)とここだけ。文化4年(1807年)〜明治3年まで本陣を務めた馬場家の遺構で、表門、主屋、書院棟、土蔵…
周防灘(すおうなだ)に面し、古代から水陸交通の要衝として栄えたのが現在の山口県防府市。地名は奈良時代に周防国の国府が置かれたことに由来しますが、天平13年(741年)、聖武天皇の勅願により全国に建てられた国分寺の後継寺院…
かつて潮待ち湊として栄えた鞆の浦(広島県福山市鞆町)。瀬戸内海随一の要港だった頃の喧噪とは無縁の静けさですが、江戸情緒を色濃く残す街並みは今も健在。鞆七卿落遺跡周辺の白壁土蔵やベンガラ商家の家並みはもちろん貴重ですが、鞆…
広島県福山市鞆町の鞆の浦(とものうら)は北前船の寄港などで栄えた港町。鞆の港に入る船の目印となっていた石造の常夜灯が現存しています。寛政3年(1791年)に築かれたもので、今も鞆の浦のシンボルとなっています。その足下に広…
広島県福山市鞆町にある江戸時代の豪商で保命酒を醸した旧宅が太田家住宅。幕末に尊王攘夷派の三条実美ら七公卿も滞在したことから別名「鞆七卿落遺跡」とも。18世紀中期から19世紀前期に建てられた全9棟からなる住宅は、江戸時代、…
広島市内で唯一の国宝建築物が、原爆投下の被害が軽微だった不動院・金堂。天井の墨書(ぼくしょ)から天文9年(1540年)築と判明し、国宝になっていますが、もともとは大内義隆が周防(すおう=現・山口県)山口に建てたもの。天正…
広島県尾道市にある真言宗泉涌寺派大本山、浄土寺。 現存する多宝塔は、鎌倉時代末期,嘉暦3年(1328年)建立で国宝。やはり国宝になっている本堂と同様に、尾道の富豪、沙弥道蓮(しゃみどうれん)・比丘尼道性(びくに…
広島県尾道市にある真言宗泉涌寺派大本山、浄土寺。 嘉暦2年(1327年)建立の本堂は、 嘉暦3年(1328年)築の多宝塔とともに国宝。入母屋造本瓦葺き。和様を基調として禅宗様(唐様)、大仏様(天竺様)…
大同2年(807年)、空海(弘法大師)開基と伝えられる真言宗大覚寺派の古刹、明王院(江戸時代初期までは常福寺という律宗の寺)。明王院の五重塔は、南北朝時代の貞和4年(1348年)に建立された純和様の五重塔で、国宝。全国に…
大同2年(807年)、空海(弘法大師)開基と伝えられる真言宗大覚寺派の古刹、明王院(江戸時代初期までは常福寺という律宗の寺)。本堂は鎌倉後期の元応3年(1321年)に再建されたもので、和洋建築の桁行五間、梁間五間、一重、…