宇陀松山城
奈良県宇陀市にある山城の跡が、宇陀松山城(うだまつやまじょう)。南北朝時代に築城され、江戸時代初期の元和の一国一城令で廃城になった城で、城下町は宇陀市松山伝統的建造物群保存地区に選定され、「森野旧薬園」などがあります。国…
奈良県宇陀市にある山城の跡が、宇陀松山城(うだまつやまじょう)。南北朝時代に築城され、江戸時代初期の元和の一国一城令で廃城になった城で、城下町は宇陀市松山伝統的建造物群保存地区に選定され、「森野旧薬園」などがあります。国…
鳥取県八頭郡若桜町(わかさちょう)にある山城が、若桜鬼ヶ城(わかさおにがじょう)。鳥取市にある鳥取城、鹿野城(しかのじょう)とともに因幡三名城に数えられています。標高446.0mの鶴尾山山頂が本丸で、比高は230mほど。…
鳥取県鳥取市青谷町にある弥生時代前期末(2400年前)〜古墳時代前期(1700年前)の集落遺跡が、青谷上寺地遺跡(あおやかみじちいせき)。青谷羽合道路(あおやはわいどうろ)などの建設に伴って発見され、発掘調査で掘立柱の建…
鳥取県倉吉市不入岡にある、伯耆国の国府に関連する遺構が、不入岡遺跡(ふにおかいせき)。平成5年に溝や板塀によって区画された大規模な建物群が発掘され、話題に。伯耆国の国府に関連した遺構として、伯耆国庁跡、法華寺畑遺跡ととも…
鳥取県倉吉市国府、伯耆国分寺跡の北東にあるのが法華寺畑遺跡(ほっけじばたいせき)。伯耆国庁跡からは北東400m、伯耆国分寺跡には隣接する遺跡で、伯耆国分尼寺の跡とも推測されています。伯耆国府跡として国の史跡になっているほ…
鳥取県倉吉市国分寺、天平 13 年(741年)、聖武天皇の詔で伯耆国(ほうきのくに=現在の鳥取県中西部)に建立された国分僧寺(金光明四天王護国之寺)の跡が伯耆国分寺跡。国府川左岸の丘陵上に立地し、溝と土塁(南側は溝と築地…
鳥取県倉吉市、国分寺地区にある、律令時代の伯耆国(ほうきのくに=現在の鳥取県中西部)の国庁の跡が伯耆国庁跡。昭和44年、柱穴状の落ち込み群が確認され、昭和48年〜昭和53年の発掘調査で、伯耆国庁の遺構であることが判明して…
鳥取県倉吉市にある国鉄倉吉線廃線跡が、日本一美しい廃線跡として話題に。倉吉市の関金地区にある泰久寺駅(たいきゅうじえき)跡から山守トンネル入口までは竹林の中に廃線跡があり、京都・嵯峨野を思わせる竹林に廃線跡があり、幻想的…
鳥取県倉吉市にある国鉄倉吉線の歴史を紹介する鉄道保存展示施設が、倉吉線鉄道記念館。明治45年に前身の軽便鉄道(倉吉軽便線)が開通、昭和60年3月31日に廃線になった国鉄倉吉線の廃線跡が整備した「緑の彫刻プロムナード」の一…
鳥取県鳥取市国府町にある歴史館が、因幡万葉歴史館。国府町は奈良時代に因幡国の国府(因幡国庁)が置かれた地。その周囲に因幡国分寺・国分尼寺が建立され、因幡一之宮の宇倍神社が鎮座する政治文化の中心地でした。館内では、そうした…
鳥取県米子市、米子の中心街を流れる旧加茂川は、藩政時代の米子城(よなごじょう)の外堀。中海に入ってきた北前船の廻船と商家の蔵との間を行き来する小舟で賑わった場所です。川沿いには今も城下町の面影を残す家並みが残り、川面に影…
福島県内で日本100名城に指定されるのは二本松城、若松城、白河小峰城と3城あり、続日本100名城の三春城とともに藩庁にもなった城。そして戦国時代の山城で続日本100名城に選定される向羽黒山城をあわせた5つの城が福島県五大…
岩手県の城跡で、日本100名城に選定されるのが岩手藩の藩庁、盛岡城。そして続日本100名城が、その前身となる九戸城です。これに国の史跡で、蝦夷(蝦夷)対策、東北経営の拠点だった古代城柵の胆沢城(奥州市)、志波城(盛岡市)…
滋賀県米原市にある中世の山城の跡が鎌刃城(かまはじょう)。応仁の乱以前に土肥氏が築城した湖北最大級の山城で、京極氏と六角氏の攻防、織田信長と浅井長政の攻防の舞台にもなっています。国の史跡に指定されるほか、続日本100名城…
三重県名張市にある津藩藤堂家の屋敷が、名張藤堂家邸。織田信長の重臣・丹羽長秀の三男で、築城の名手として知られる藤堂高虎(とうどうたかとら)の養子となった藤堂高吉(とうどうたかよし)に始まるのが名張藤堂家邸。津本家から1万…
三重県亀山市、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された旧東海道関宿(全長1.8kmの大宿)の中心、中町地区にある資料館が、関まちなみ資料館。江戸時代末期に建てられた関宿を代表する町屋建築(旧別所家)を資料館として再生し…
三重県津市美杉町上多気にある伊勢国司・北畠氏の城館が、多気北畠氏城館。南北朝時代に、南朝方として伊勢に入り、南北朝が統一後、伊勢国司としての地位を保ち、守護大名として室町時代を生き抜いた北畠氏の伊勢支配の拠点。国の史跡に…
三重県度会郡玉城町(たまきちょう)にある南北朝時代に南朝の拠点として築かれた城が田丸城。神宮(伊勢神宮)を抑える要衝で、戦国時代には北畠家の家督を相続した織田信雄(おだのぶかつ=織田信長の次男)の居城となり、近世城郭に改…