ナガレ山古墳

ナガレ山古墳

奈良県北葛城郡河合町、馬見古墳群(うまみこふんぐん)の中央部にある墳丘長105mの前方後円墳が、ナガレ山古墳。昭和50年〜昭和51年に土砂の採取で一部が削られたため、国の史跡として保護され、東側のテラスには埴輪列、斜面を覆う葺石なども復元されて、平成8年に公開されています。

古墳の東側を築造当初の姿に復元し、古代・現代の対比が実現

ナガレ山古墳

前方部を南に向けた前方後円墳で、墳丘長105m、後円部の直径64m、高さ8.5m、前方部の幅70m、高さ6.2mで、墳丘の形態や埴輪の特徴から5世紀初頭の築造。

前方部墳頂には埋葬施設が現存。
箱形木棺を粘土で覆った粘土槨(ねんどかく=木棺の四周を粘土で被覆する埋葬施設)です。
後円部の埋葬施設は失われていて不明ですが、水銀朱や粘土の塊が出土したことから、粘土槨だったことがわかっています。
被葬者は不明ですが、古代に一帯を支配した豪族・葛城氏の一族とも推測できます。
東側くびれ部には2列の埴輪列で区画された通路状遺構が確認され、目下、全国で唯一の例となっています。

復元された古墳は、東側が築造当時の姿、西側には芝生が張られ、墳頂部と西側埴輪列は、植栽で表現し、現在の姿と、1600年という時の流れを体感することができる仕組み。
葺石は、二上山麓の安山岩や花崗岩が使用されていますが、これも発掘調査で往時の葺石を分析してのこと。
復元された埴輪列は494本はFRP製、残りの181本が河合町民が粘土を積み上げてつくったもの。
町民が実際に復元することで、当時埴輪製造を担った土部(はじべ)の技術の高さを実感できたとのこと。

馬見古墳群には、中央群に巣山古墳、新木山古墳、ナガレ山古墳、佐味田宝塚古墳、南群に築山古墳、新山古墳、狐井城山古墳、コンピラ山古墳、狐井塚古墳、そして北群に川合大塚山古墳、島の山古墳などがあります。

ナガレ山古墳
ナガレ山古墳
名称 ナガレ山古墳/ながれやまこふん
所在地 奈良県北葛城郡河合町佐味田
関連HP 河合町公式ホームページ
電車・バスで 近鉄池部駅から徒歩30分
ドライブで 西名阪自動車道法隆寺ICから約4km
駐車場 馬見丘陵公園中央駐車場を利用
問い合わせ 河合町生涯学習課 TEL:0745-57-2271/FAX:0745-57-1165
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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