小田原城・馬出門
小田原城の大手筋(正面)に位置する、二の丸を守る重要な門が馬出門(うまだしもん)。小田原市の「史跡小田原城跡本丸・二の丸整備基本構想」で二の丸から本丸に至る往時の登城ルートの復元整備が行なわれていますが、平成21年に復元…
小田原城の大手筋(正面)に位置する、二の丸を守る重要な門が馬出門(うまだしもん)。小田原市の「史跡小田原城跡本丸・二の丸整備基本構想」で二の丸から本丸に至る往時の登城ルートの復元整備が行なわれていますが、平成21年に復元…
様々なジャンルの「日本三大」がありますが、そのなかでももっとも諸説あり、紹介するのが悩ましいのがこの日本三大名城(日本三名城)です。戦国時代までの中世の城郭、江戸時代以降の近世城郭という時代背景、規模の大きさで選ぶのか、…
大分県玖珠町(くすまち)の角埋山(つのむれやま)にあった中世の山城跡で国の史跡にもなっているのが定かではないが角牟礼城跡(つのむれじょうせき)。鎌倉時代の弘安年間(1278年〜1288年)に森朝通によって築かれと伝えられ…
大分県佐伯市の南西、標高144mの城山に、1606(慶長11)年、築城の名人・毛利高政が築いたと伝わる平山城が、佐伯城(さいきじょう)。山頂の本丸周辺には石垣しか残されていませんが、麓の佐伯文化会館横には、佐伯藩3代当主…
大分県佐伯市の南西、標高144mの城山に、慶長11年(1606年)、築城の名人・毛利高政(もうりたかまさ)が築いたと伝わる平山城の城が佐伯城跡(さいきじょうせき)。舞鶴のような姿から「鶴屋城」との別名を有しています。江戸…
島根県浜田市にある近世の城郭が浜田城跡で、「続日本100名城」に選定。元和5年(1619年)に初代・浜田藩主の古田重治(ふるたしげはる)が築城し、慶応2年(1866年)7月18日、長州軍の攻略の際に松平武聡(まつだいらた…
山梨県北杜市の大泉高原にある中世の山城の城跡が、谷戸城跡(やとじょうせき)。城は平安時代末期から鎌倉時代初期の要害城の典型で、15世紀以降も城として使われていたことが出土品から判明。武田信玄が造った軍用道路「信玄棒道」(…
北関東の要衝、沼田(現・群馬県沼田市)に中世に築かれた城。戦国時代には上杉、後北条、武田の争奪戦が展開し、本能寺の変後は真田信幸が支配し、江戸時代には沼田藩の藩庁が置かれました。城跡は沼田公園として整備され、「日本の歴史…
広島県三原市にある戦国時代から江戸時代の城跡が三原城。永禄10年(1567年)頃、小早川隆景が築城を開始し、小早川水軍の拠点として機能していました。三原市の『やっさ祭り』で披露される『やっさ踊り』は、築城完成を祝って城下…
青森県青森市浪岡にある中世の城跡が浪岡城跡(なみおかじょうせき)。昭和15年に青森県内で初めて国の史跡となった城跡で、室町時代の応仁年間(1467年〜1468年)頃、浪岡北畠氏4代・北畠顕義が築いたもの。土塁、壕跡などが…
これまで、戦国時代の天守として国宝を目指してきたのが福井県坂井市にある丸岡城。国宝指定には築城年を示す正確な史料が必要です。その史料に欠ける丸岡城では、天守の通し柱などの科学的な調査を実施しました。その結果、なんと、戦国…
静岡市街の中心地、駿府城公園は、将軍職を徳川秀忠に譲り大御所時代の駿府城の跡だとされています。全国の大名に命じて(天下普請)築城させたのが現在の駿府城です。それは歴史的事実なのですが、駿府城の天守台跡の発掘調査で、豊臣秀…
2024年7月13日(土)~8月25日(日)、新潟県上越市の高田城址公園で『第45回高田城址公園観蓮会』を開催。高田城址公園の外堀のほとんどを埋め尽くして咲き誇る「東洋一」といわれる蓮の観察会、土日を中心に「物産展」、「…
2024年7月24日(土)~8月31日(土)、大阪市の大阪城天守閣で『夏の開館時間延長』を実施。開館時間は通常9:00~17:00(入館は16:30まで)を終了時間を2時間延長して、9:00〜19:00(入館は18:30…
千葉県香取市小見川にある小見川城山公園(おみがわじょうやまこうえん)。建久10年(1199年)、千葉氏一族の粟飯原朝秀が小見川城が築いた地で、土塁や空濠など中世の城跡が残されています。城山古墳群があるほか、70余種、60…
千葉県大多喜町にあった大多喜城は、戦国時代から江戸時代かけて存在した平山城。その本丸跡に建ち、天保6年(1835年)の図面を基にしての図面を基に復元した建物が、千葉県立中央博物館大多喜城分館(大多喜城)。「房総の城と城下…
三重県桑名市の揖斐川河口に臨んで建つのが桑名城・蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)。揖斐川河口の七里の渡し渡船場近くの三の丸に建つ蟠龍櫓は、平成15年に建築されたもので、実は国土交通省水門統合管理所。1階は水門管理所となっていま…
愛媛県今治市宮窪町、大島の沖合に浮かぶ周囲720mの能島(のしま)にある城砦で、能島村上海賊の本拠地だった城跡が能島城。室町時代、戦国時代にわたり活躍した村上海賊は、応永26年(1419年)に能島、因島、来島の3家に分立…