歩兵第18連隊正門・哨舎跡(豊橋公園正門)
愛知県豊橋市にある吉田藩の藩庁だった吉田城。その城跡は現在、豊橋公園になっていますが、豊橋公園正門は、かつての歩兵第18連隊正門(歩兵第十八聯隊正門)。正門の脇にはコンクリート造りの哨舎跡(しょうしゃあと)が残されていま…
愛知県豊橋市にある吉田藩の藩庁だった吉田城。その城跡は現在、豊橋公園になっていますが、豊橋公園正門は、かつての歩兵第18連隊正門(歩兵第十八聯隊正門)。正門の脇にはコンクリート造りの哨舎跡(しょうしゃあと)が残されていま…
広島県呉市上長迫町にある、明治23年に戦没などによる海軍軍人などの埋葬地として開設された帝国海軍の海軍墓地が旧呉海軍墓地(長迫公園)。富国強兵政策で、明治22年に呉に置かれたのが海軍の鎮守府で、その創立に伴って、墓地も整…
広島県呉市安浦町の安浦漁港(三津口)沖にある防波堤が、コンクリート船「武智丸」(沈船防波堤)。第二次世界大戦の最中、帝国海軍所属の貨物船として建造された2隻のコンクリート船、「第一武智丸」、「第二武智丸」を終戦後に防波堤…
戦前は海軍の街、そして日本一の海軍工廠の街として発展した広島県呉市。そのシンボル的な存在が旧呉鎮守府庁舎(海上自衛隊呉地方総監部第一庁舎)。明治40年に建てられたレンガと御影石(みかげいし)の美しい建物で、日曜日などに限…
広島県広島市を流れる元安川に架かっていた橋が元安橋で、原爆の爆心地から130mしか離れていなかったことから大きな被害を受け、その一部が旧元安橋モニュメントとして保存されています。旧元安橋は、原爆の爆風により照明装置の笠石…
千葉県南房総市富浦町、東京湾の湾口に突き出した緑豊かな半島にある大房岬砲台跡(東京湾要塞)。大房岬の砲台は江戸時代後期の文化8年(1811年)に江戸湾防備のために備えられた13門が始まり。その後、東京湾の入口を守る重要性…
長崎県壱岐市郷ノ浦町、壱岐の人気スポット猿岩近くにある昭和8年完成の砲台の跡が黒崎砲台跡。昭和3年から6年の歳月を費やし、対馬海峡を通過する艦船を攻撃するために戦艦「土佐」または巡洋戦艦「赤城」の主砲が据えられた砲台です…
長崎県佐世保市平瀬町にあるレトロな建物が旧佐世保鎮守府凱旋記念館(市民文化ホール)。大正12年5月、佐世保鎮守府管下の12県(九州・四国・沖縄)から、建設予算8万6000円(現在の価値で11億円)の寄付によって建設された…
長崎県佐世保市上町、海軍士官の会合などに使われていた佐世保水交社。その洋風建築の一部を修復し、新館を増設して平成9年に完成したのがこの海上自衛隊佐世保史料館(セイルタワー)。日本の海軍の軌跡とともに、海軍の街として歩んで…
長崎県佐世保市東山町にあるのが、東公園で佐世保東山海軍墓地を整備した都市公園。地元では海軍墓地、東山公園と呼ばれています。明治22年7月1日に開庁した佐世保鎮守府(させぼちんじゅふ)ですが、個人墓、艦船や潜水艦、戦線別の…
長崎県佐世保市、俵ヶ浦半島(旧陸軍佐世保要塞俵ヶ浦地区)にの最高部(標高142m)に残る、佐世保要塞時代の砲台・丸出山堡塁に設置された砲戦指揮のために建設された施設の跡が旧陸軍佐世保要塞・丸出山観測所跡。明治34年に建設…
長崎県佐世保市に残る、佐世保要塞時代の砲台跡が旧陸軍佐世保要塞・小首堡塁跡。佐世保に軍港が設置されると、その防衛のため陸軍により佐世保要塞が設置され、明治34年までに佐世保港の入口を守備するために、7ヶ所の砲台が築かれて…
長崎県佐世保市の針尾島にある海上保安庁の無線送信所が針尾送信所ですが、巨大な3本の鉄筋コンクリート製の電波塔(針尾無線塔)は大正時代に建てられたもので、旧佐世保無線電信所(針尾送信所)施設の名称で国の重要文化財に指定され…
長崎県佐世保市城間町にある巨大な防空壕が無窮洞(むきゅうどう)。第二次世界大戦中の昭和18年、当時の宮村国民学校(現・宮小学校)の教師と小学生たちが掘削した幅5m、奥行き20m、生徒600人が避難できたという巨大な防空壕…
青森県弘前市にある国の重要文化財に指定される歴史的建造物が旧弘前偕行社(きゅうひろさきかいこうしゃ)。明治40年、陸軍第八師団の弘前新設に伴い、将校たちの社交場として建てられたもの。ルネサンス風の意匠を基調とした木造平屋…
愛知県半田市にある戦時中に海軍の航空機を生産した中島飛行機半田製作所の滑走路跡が、中島飛行機滑走路跡。北西から南東にのびる滑走路は全長924mの1本。南東側が堤防に当たるため、中島飛行機半田製作所の生産機、艦上攻撃機「天…
兵庫県洲本市由良町にある紀淡海峡を防備する由良要塞の砲台跡が生石公園生石山砲台跡(おいしこうえんおいしやまほうだいあと)。日清・日露戦争を控えて紀淡海峡に侵入するする外国艦隊を防備するために生石山に築かれた堡塁(ほるい=…
香川県善通寺市にあるかつての陸軍将校の社交場として建設された建物が旧善通寺偕行社。明治29年、当時の善通寺町に陸軍第11師団が開設され、明治36年5月10日に竣工した社交クラブの建物が現存する旧善通寺偕行社で、国の重要文…