小田原城・馬出門
小田原城の大手筋(正面)に位置する、二の丸を守る重要な門が馬出門(うまだしもん)。小田原市の「史跡小田原城跡本丸・二の丸整備基本構想」で二の丸から本丸に至る往時の登城ルートの復元整備が行なわれていますが、平成21年に復元…
小田原城の大手筋(正面)に位置する、二の丸を守る重要な門が馬出門(うまだしもん)。小田原市の「史跡小田原城跡本丸・二の丸整備基本構想」で二の丸から本丸に至る往時の登城ルートの復元整備が行なわれていますが、平成21年に復元…
神奈川県小田原市街の北西、神奈川県立おだわら諏訪の原公園に隣接する地に平成7年4月に開園した植物公園が小田原フラワーガーデン。4.2haの敷地にヒスイカズラなど300種の熱帯・亜熱帯花木・果樹が茂るトロピカルドーム(有料…
神奈川県藤沢市、江の島の最奥、江島神社奥津宮の社前から入った丘が恋人の丘。断崖に龍恋の鐘(りゅうれんのかね)が設置され、この鐘を鳴らせば別れることはないと喧伝(けんでん)され、恋人達に人気のスポットになっています。
江戸時代には江の島詣で賑わった江の島西端、江の島岩屋周辺にある岩棚の海岸にある淵が稚児ヶ淵(ちごがふち)。建長寺広徳院の自久(自休)和尚に見初められた相承院(鶴岡八幡宮の僧坊・鶴岡二十五坊のひとつ、頓覚坊)の稚児・白菊が…
神奈川県藤沢市にある江戸時代には江の島詣(江島詣)で賑わった江の島。その江の島の最奥、稚児ヶ淵(ちごがふち)から海上に造られたコンクリート製の桟道を進んだ先にあるのが、江の島岩屋。役(えん)の行者が開き、空海(弘法大師)…
江戸時代には箱根権現(現・箱根神社)に詣でる箱根詣、丹沢大山の石尊権現に参詣の大山詣(現・大山寺、大山阿夫利神社)と並んで参詣者の多かったのが江の島の「裸弁財天」を拝む江島詣。その江島詣を今に伝える古社が、江の島島内に鎮…
古都・鎌倉の都市計画は、源頼朝が鎌倉入りした直後の治承4年10月12日(1180年11月1日)、鶴岡八幡宮を現在地に遷し、海岸から八幡宮への参道となる若宮大路を開いたのが始まり。その若宮大路には海岸から一の鳥居、二の鳥居…
鎌倉(現・神奈川県鎌倉市)に幕府を開くにあたり、源頼朝(みなもとのよりとも)が行なった都市計画で、メインストリートとして造成されたのが海岸と鶴岡八幡宮を結ぶ若宮大路。参道を兼ねるため一の鳥居から三の鳥居まで途中3つの鳥居…
神奈川県横浜市、横浜中華街の北門にあたるのが玄武(げんぶ)が守護する玄武門(げんぶもん)。横浜中華街には現在、大小10基の牌楼(ぱいろう=門)がありますが、そのひとつが玄武門です。東西南北には「春夏秋冬」、「朝昼暮夜」と…
神奈川県横浜市、横浜中華街の西門にあたるのが白虎(びゃっこ)が守護する延平門(えんぺいもん)。横浜中華街には現在、大小10基の牌楼(ぱいろう=門)がありますが、そのひとつが延平門です。東西南北には「春夏秋冬」、「朝昼暮夜…
神奈川県真鶴町にある太平洋に突き出した岬が真鶴岬(まなづるみさき)。岬の突端、海面に巨石が3つ突き出したように見える場所が、三ツ石と呼ばれる景勝地です。海岸から200mにわたって続く岩礁の先にあり、干潮時なら三ツ石まで歩…
神奈川県横浜市、横浜中華街の東門にあたるのが朝陽門(ちょうようもん)。横浜中華街には現在、大小10基の牌楼(ぱいろう=門)がありますが、そのひとつが朝陽門です。東西南北には「春夏秋冬」、「朝昼暮夜」という陰陽五行に基づく…
神奈川県横浜市、横浜中華街の南門にあたるのが朱雀門(すざくもん)。横浜中華街には現在、大小10基の牌楼(ぱいろう=門)がありますが、そのひとつが朱雀門です。東西南北には「春夏秋冬」、「朝昼暮夜」という陰陽五行に基づく色で…
神奈川県横浜市中区にある実業家で茶人の原三溪(本名は原富太郎)が明治39年に開園した庭園が三溪園(さんけいえん/三渓園)。本牧海岸に沿う海岸台地や谷などの美しい自然の起伏をいかした、17.5haという広大な敷地に17棟の…
神奈川県横浜市、日本最大の中華街でもある横浜中華街の関帝を祀る廟。関帝とは、『三国志』でその名を知られる中国の武将、関羽(かんう=西暦220年1月没)のこと。明治6年、居留民によって、山下町140番地付近に日本で最初の小…
神奈川県横浜市、中華街大通り入口にある牌楼(ぱいろう)の善隣門(ぜんりんもん)は、横浜中華街のシンボル。初代の善隣門が建てられたのは昭和30年2月で、それまで中華街は「南京町」と呼ばれていました。この善隣門に「中華街」と…
神奈川県横浜市の山手地区のメインストリートが山手本通りで、「日本の道100選」にも選定。もともと横浜居留地に住む人々は山手地区を「険しい崖」(形成された海岸段丘)の意味からThe Bluff(ブラフ)、あるいはYamat…
神奈川県横浜市、山手地区の横浜イタリア山庭園に建つ洋館が外交官の家。明治43年、ニューヨーク総領事やトルコ特命全権大使などを務めた外交官・内田定槌(うちださだつち)氏の邸宅として、東京渋谷・南平台に建築。平成9年にイタリ…