四十三万滝
菊池市の菊池渓谷にある滝で「日本の滝百選」にも選定されているのが四十三万滝。環境省の「名水百選」に選ばれた菊池水源は菊池川の源流ですが、湧き出した水は阿蘇外輪山の外側斜面を急流となって流れ下っています。四十三万滝の落差は…
菊池市の菊池渓谷にある滝で「日本の滝百選」にも選定されているのが四十三万滝。環境省の「名水百選」に選ばれた菊池水源は菊池川の源流ですが、湧き出した水は阿蘇外輪山の外側斜面を急流となって流れ下っています。四十三万滝の落差は…
山鹿市の西隣、熊本県玉名郡和水町にある全長62mの前方後円墳が江田船山古墳。発掘当初は、わが国で最初の漢字使用例とされた国宝「銀象嵌銘大刀」の出土で有名な古墳です。75の漢字で記された文字は、「大王の恩を得て、長寿で子孫…
国の史跡である塚原古墳群を中心に、熊本市塚原歴史民俗資料館や火の君遊園地、熊本県民天文台などが整備された公園が塚原古墳公園。塚原古墳群は、昭和47年の九州縦貫自動車道開通に伴う発掘調査で全貌が明らかになり、保存運動の成果…
熊本県山鹿市にある装飾古墳で知られるチブサン古墳は、6世紀初めの古墳時代後期に築造された前方後円墳。全長45mと規模はさほどではありませが、装飾古墳として全国的に有名。横穴式石室の内部に赤、白、黒の3色で、丸や三角、菱形…
熊本県美里町を流れる緑川の本流・船津峡に架かる弘化4年(1847年)に建造された石造アーチ橋で、国の重要文化財に指定。本流の難所としても知られる船津峡に、人力のみで建造され、わずか7ヶ月で完成したと伝えられています。全長…
熊本県山都町(やまとちょう)にある全長79m、石垣総面積1802平方という日本最大の石造アーチ式水路橋。安政元年(1854年)、白糸台地の水不足解消のために矢部郷の惣庄屋(そうじょうや)・布田保之助(ふたやすのすけ)ら地…
放水で有名な国の重要文化財に指定の石造アーチ型の水路橋、通潤橋(つうじゅんきょう)見学の拠点となる山都町にある道の駅が道の駅通潤橋。熊本県道180号(南田内大臣線)沿いですが高千穂峡や延岡と結ぶ国道218号、熊本に通じる…
阿蘇登山道路(阿蘇パノラマライン)と呼ばれる熊本県道111号(阿蘇吉田線)ぞいにある標高984mのすり鉢状の小山が米塚。比高80mほどの美しいスコリア丘(3000年前ほど前に形成されました)で中央には直径100mの火口が…
阿蘇山中央火口丘、烏帽子岳(阿蘇五岳/1236.7m)の北麓、直径1kmほどの円形の火口跡(78万5000平方メートル)が草原となったのが草千里ヶ原。夏ならば雨水がたまってできた池の周りには放牧された牛馬が草をはむ阿蘇ら…
熊本市の中心を流れる一級河川の白川。その水源となるのが阿蘇カルデラの南部、南郷谷(南阿蘇村)の白川水源で14度の清冽な水が毎分60tも湧き出しています。藩政時代から湧水池は肥後名勝のひとつに数えられ、現在は、環境省の名水…
明治4年、神仏分離が行なわれた際に熊本城内に創建された神社が加藤神社(当時は錦山神社と称していました)。熊本城内に陸軍の熊本鎮台が置かれるということで城外の新堀町(現在の在京町)に移転しましたが、昭和37年に再び城内の本…
名古屋城、大坂城(大阪城)と並び「日本三名城」の一つ熊本城は、天正16年(1588年)に肥後半国の領主・加藤清正によって6年の歳月をかけて築かれた豪壮雄大な城。現在残る熊本城の城郭は、加藤清正が築いたものを細川時代に手直…
人吉盆地(熊本県人吉市)にある人吉城は、鎌倉時代の建久4年(1193年)、相良氏が人吉の地頭に任じられた際に築城された山城。以来、明治維新に至るまで、35代670年にわたって相良氏が城主を務めるという稀有な城となっていま…
明治23年4月4日に来日し、8月に松江中学の英語の教師となったラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、翌年小泉セツと結婚し、11月に熊本の第五高等学校(現在の熊本大学)の英語教師として赴任。熊本で最初に住んだ家が小泉八雲熊本…
熊本県南阿蘇村中松地区にある樹齢400年、樹高14m、幹回り7.4mのオオヤマザクラの巨樹が一心行の大桜(いっしんぎょうのおおざくら)。南阿蘇村は戦国時代に峯村と称しましたが、その峯村にあった鶴翼城の城主・中村惟冬(なか…
元和5年(1619年)の肥後八代地震(M6.0)で球磨川の河口にあった麦島城が崩壊したため、元和8年(1622年)に熊本藩主・加藤忠広(加藤清正の子)が松江村に築いた城が八代城(やつしろじょう=松江城)。現存するのは、水…
熊本市西に連なる山々の主峰・金峰山の山頂途中、鳥越峠(とりごえとうげ)にある夏目漱石の『草枕』ゆかりの茶屋が峠の茶屋。一帯は峠の茶屋公園として整備されています。明治30年の暮れに夏目漱石は友人・山川信次郎とともに小天温泉…
明治30年、夏目漱石は、友人の山川信次郎とともに熊本・岳林寺から小天温泉(おあまおんせん)・前田家の別邸へと旅をしました。その時の紀行が有名な『草枕』で、峠の茶屋で休む話が出てきます。漱石は鳥越峠と野出峠という2つの峠を…