大峯奥駈道・旧女人結界
奈良県吉野郡吉野町、吉野山の奥千本・金峯神社から大峰山方面に大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)を少し歩いたところにあるのが、旧女人結界。吉野から大峰山を経て熊野本宮に至る大峯奥駈道は、ユネスコの世界遺産に「紀伊山地の霊場…
奈良県吉野郡吉野町、吉野山の奥千本・金峯神社から大峰山方面に大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)を少し歩いたところにあるのが、旧女人結界。吉野から大峰山を経て熊野本宮に至る大峯奥駈道は、ユネスコの世界遺産に「紀伊山地の霊場…
奈良県吉野郡吉野町、吉野山・奥千本で、大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)から少し西に外れた西行庵近くの山中に湧く清水が、苔清水。「とくとくと落つる岩間の苔清水汲みほすまでもなき住居かな」と西行が詠み、西行を慕ってここを訪…
奈良県吉野郡吉野町、吉野山・奥千本の金峯神社近くにあるのが、義経隠れ塔。吉野山の伝承などでは、源義経と静御前が、追討の追っ手から身を隠したのが吉水院(現在の吉水神社)。大峯山は当時女人禁制だったため、この地で義経と静は別…
奈良県吉野郡吉野町、吉野山の奥千本にある標高698mのピークにある展望台が、高城山展望台(たかぎやまてんぼうだい)。後醍醐天皇が鎌倉幕府の倒幕に立ち上がった元弘の乱(げんこうのらん)の際、大塔宮(おおとうのみや=護良親王…
奈良県吉野郡吉野町、上千本から奥千本への途中、花矢倉展望台の脇にあるのが、世尊寺跡。世尊寺は、金峯山寺(きんぷせんじ)の塔頭(たっちゅう)で明治8年、廃仏毀釈の嵐により廃寺となった寺。寺跡に吉野三郎鐘と称される名鐘(国の…
奈良県吉野郡吉野町、吉野山の上千本から奥千本へと向かう途中、花矢倉展望台の取り付きにある首塚が、横川覚範首塚(よかわのかくはんくびづか)。吉野一の荒法師と呼ばれた僧兵・横川覚範は、源義経を追いますが、、佐藤忠信が花矢倉で…
奈良県吉野郡吉野町、吉野山の上千本から獅子尾坂を上り詰めた先、世尊寺跡にある展望台が、花矢倉展望台。眼下に上千本、中千本、蔵王堂を見下ろせ、遠く金剛・葛城・二上山を遠望する絶景の地。義経の忠臣、佐藤忠信は、追っ手を防ぐた…
奈良県奈良市と京都府木津川市の境、標高112mの奈良山丘陵の傾斜面に築かれた古墳が、石のカラト古墳。全国に6基しか確認されていない上段が円形、下段が方形の上円下方墳(じょうえんかほうふん)。昭和54年の発掘調査で、最初に…
奈良県天理市にある墳丘長152mという巨大な双方中円墳(そうほうちゅうえんふん=前方部を両側に築いた独特な墳形)が、櫛山古墳(くしやまこふん)。古墳時代前期に築かれた柳本古墳群(やなぎもとこふんぐん)の1基で、双方中円墳…
奈良県大和高田市にある墳丘長75mの前方後円墳が、狐井塚古墳(きついづかこふん)。古墳の規模はさほどではありませんが、宮内庁から陵西陵墓参考地として、顕宗天皇(けんぞうてんのう)の皇后・難波小野女王(なにわのおののみこ)…
奈良県大和高田市にある直径95m、高さ12.7mという巨大な円墳が、コンピラ山古墳。馬見古墳群(南群のうち築山古墳群)の1基で、築山古墳(つきやまこふん/墳丘長210mの前方後円墳、磐園陵墓参考地)の東側に築造された大…
奈良県香芝市にある墳丘長140mの前方後円墳が、狐井城山古墳(きついしろやまこふん)。馬見古墳群の1基で、新山古墳(しんやまこふん)、築山古墳(つきやまこふん)、コンピラ山古墳などとともに馬見古墳群・南群を構成しています…
奈良県北葛城郡広陵町にある墳丘長126mの前方後円墳が、新山古墳(しんやまこふん)。宮内庁は、大塚陵墓参考地として武烈天皇の陵墓参考地に治定しています。馬見古墳群に属する1基で、4世紀前半の築造と推測されるため、実際の被…
奈良県磯城郡田原本町にある、弥生時代の巨大な環濠集落の遺跡、唐古・鍵遺跡の出土品を展示するミュージアムが、唐古・鍵考古学ミュージアム。唐古・鍵遺跡史跡公園で復元された「楼閣の描かれた第47次調査で出土した絵画土器のも展…
奈良県磯城郡田原本町にある弥生時代の環濠集落の跡が、唐古・鍵遺跡(からこ・かぎいせき)。一帯は唐古・鍵遺跡史跡公園として整備され、楼閣を復元するなど弥生時代の「風景」の再現が行なわれています。公園全体のガイダンスの場とな…
奈良県生駒郡斑鳩町にある国の史跡、中宮寺跡を歴史公園として整備公開したのが、中宮寺跡史跡公園。現在、中宮寺は、400m西の法隆寺東伽藍夢殿の東隣にありますが、江戸時代初期に移転したもの。貴重な飛鳥時代創建の古代寺院跡2….
奈良県桜井市山田にある古代寺院の跡が、山田寺跡(やまだでらあと)。蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだのいしかわまろ=蘇我入鹿のいとこ)が、641年(舒明天皇13年)に建設を開始した寺で、昭和50年の発掘調査で、東回廊の…
奈良県奈良市大柳生町にある直径16mの円墳が、水木古墳(みずきこふん)。6世紀後半頃の築造と推定され、横穴式石室から刀、鉄鏃、馬具などの副葬品が出土したことから、当時の有力者の箱だろうと推測されています。奈良市の文化財に…