比売語曽社
大分県東国東郡姫島村にある古社が、比売語曽社(ひめこそしゃ)。祭神は比売語曽神(ひめこそのかみ)。姫島の姫とは、この社に祀られる姫君のこと。古代からの大陸との交流を感じさせる社で、広島県呉市の亀山神社は、白鳳8年(679…
大分県東国東郡姫島村にある古社が、比売語曽社(ひめこそしゃ)。祭神は比売語曽神(ひめこそのかみ)。姫島の姫とは、この社に祀られる姫君のこと。古代からの大陸との交流を感じさせる社で、広島県呉市の亀山神社は、白鳳8年(679…
大分県東国東郡姫島村、一島一村の姫島の玄関口となるのが、姫島港(姫島村営フェリー乗り場)。伊美港(国東市)から姫島村営フェリーを利用し、わずか20分の船旅。港一帯は姫島港運動公園として整備され、夏場には姫島海水浴場がオー…
大分県東国東郡姫島村、豊後水道北側入口にある姫島で製塩業営み、明治4年の廃藩置県まで12代250年にわたって庄屋を務めた旧家が、姫島庄屋古庄家(ひめしましょうやこしょうけ)。現存する建物は、第11代・古庄逸翁(こしょうい…
大分県大分市、滝尾中学校グランド北側の岩壁にある、大小84基の横穴墓群が、滝尾百穴横穴古墳群(たきおひゃっけつよこあなこふんぐん)。火山層の崖に、上下3段になって横穴墓が築かれ、古墳時代後期後半(6世紀)に造られた、集団…
大分県津久見市、みなとオアシスとして整備される津久見港の臨海公園が、つくみん公園。正式名は港中央公園。「海遊王国シートピア」がモチーフで、ビッグウェーブスライダー、シェルアイランド、ホエールサブマリンなどなど、ユニークな…
大分県津久見市中田、戦国時代、豊後国(ぶんごのくに)を支配した大友宗麟(おおともそうりん)終焉の地、津久見にあるのが、大友宗麟墓地公園。昭和52年、キリシタンだった大友宗麟ということから新たにキリスト教式墓地を建設し、津…
大分県津久見市四浦、四浦半島(ようらはんとう)の北側を通る、大分県道611号(四浦日代線)は、間元(まもと)地区で終点。間元漁港先端の浜に立つと、間元海峡越しに目と鼻の先に、保土島を眺めることができます。岬突端から島まで…
大分県津久見市、豊後水道に浮かぶ島、保戸島(ほとじま)と、椿咲く無垢島(むくしま)への旅客船が出航するのが津久見港。保戸島へは「やま丸」の運航する高速船マリンスター、高速船ニューやま2号で25分の船旅。無垢島は津久見市営…
大分県津久見市、四浦半島(ようらはんとう)の先端、豊後水道に浮かぶ島、保戸島(ほとじま)の玄関口となるのが保戸島港。四浦半島先端の間元漁港から目と鼻の先にありますが、高速船が出向するのは津久見港(離島ターミナル)。所要2…
大分県津久見市、四浦半島のすぐ先、豊後水道に浮かぶ島が、保土島(ほとじま)。マグロ延縄漁業の技術は日本一ともいわれ、明治から昭和にかけてマグロ漁業基地として発展した全国有数の漁港が保戸島港。港町(保土島集落)の異色の景観…
大分県津久見市四浦、四浦半島(ようらはんとう)の北側を通る、大分県道611号(四浦日代線)沿いにある展望地が、四浦展望台。標高は130mほどだが、刀自ヶ浦港(とじがうらこう)を眼下に、西には観音崎へと続く半島が、そして晴…
大分県速見郡日出町(ひじまち)にある浄土宗の寺、龍泉寺。『雪やこんこん』、『荒城の月』、『箱根八里』などで知られる作曲家・瀧廉太郎(たきれんたろう)は、明治12年、旧日出藩士・瀧吉弘の長男として東京府芝区(現・東京都港区…
大分県速見郡日出町豊岡にあるフランシスコ・ザビエルが府内の大友宗麟と会見する途上に歩いた道といわれるのが、ザビエルの道。豊前と豊後を隔てていた峠越えの場所が、鹿鳴越峠(かなごえとうげ)で、ザビエルの道と呼ばれるのは、宇佐…
大分県速見郡日出町(ひじまち)にある水汲みスポットが、山田湧水。湧水の豊富な日出町は、上水道も湧水を使うほど。豊岡山田地区にあるのが山田湧水で、「お茶やコーヒーに最適の水」とのことで、駐車場もあることから順番待ちになるほ…
大分県速見郡日出町(ひじまち)、日出城の三の丸跡に建つのが、的山荘(てきざんそう)。大正4年に建てられた、大正時代の最盛期には日本一の産出額を誇った馬上金山(ばじょうきんざん/大分県速見郡山香町、現・杵築市山香町)を経営…
大分県速見郡日出町(ひじまち)、日出小学校前に建つ日出城(暘谷城・ようこくじょう)周辺の観光拠点となるのが、二の丸館。日出町の特産品の販売コーナー、飲食スペース「にのまる茶屋」、「茶時(ちゃどき)まるに」があり、観光の拠…
大分県速見郡日出町(ひじまち)にある、大分県下で唯一現存する藩校の遺構が、致道館(ちどうかん)。かつて日出城(暘谷城・ようこくじょう)東二の丸(現・日出中学校)に位置した日出藩の藩校で、安政5年(1858年)、日出藩15…
大分県速見郡日出町にある天台宗の古刹、願成就寺(がんじょうじゅじ)。養老年間(717年~724年)、六郷満山の創建者・仁聞(にんもん)が建立、天徳4年(960年)、空也上人が再興したと伝えられます。国東六郷満山の総結願寺…