関宿・高札場跡
旧東海道・関宿(三重県亀山市)にある街道時代に亀山藩が管理した高札場跡。キリシタン禁令などの法規的な内容から隣接宿場までの人馬駄賃の規定、生活に関わる様々な張り出しが行なわれた場所です。明治10年に撤去されましたが、江戸…
旧東海道・関宿(三重県亀山市)にある街道時代に亀山藩が管理した高札場跡。キリシタン禁令などの法規的な内容から隣接宿場までの人馬駄賃の規定、生活に関わる様々な張り出しが行なわれた場所です。明治10年に撤去されましたが、江戸…
国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された三重県亀山市の東海道・関宿(せきじゅく)の中心、中町にある資料館が関宿旅籠玉屋歴史資料館。街道時代には、「関で泊まるなら鶴屋か玉屋、まだも泊まるなら会津屋か」と謳われた関宿を代表…
三重県亀山市、東海道の関宿にある真言宗御室派の寺が関地蔵院。天平13年(741年)、国中に流行した天然痘から人々を救済するため行基によって創建されたという古刹で、本尊の地蔵菩薩坐像は日本最古の地蔵菩薩といわれています。正…
三重県伊勢市を流れる勢田川にあった川湊(かわみなと)、河崎湊には、民族の大移動のように伊勢を目指した江戸時代の繁栄を今に偲ばせる蔵が残されています。これが勢田川河崎の蔵群。伊勢には人ばかりでなく物資も集結。伊勢・大湊に集…
神宮(伊勢神宮)、内宮(ないくう=皇大神宮)参道途中、五十鈴川沿いにある古来からの禊(みそぎ)の場が御手洗場(みたらし)。宇治橋の前で一礼し、心も正して宇治橋を渡り、一の鳥居をくぐった先で五十鈴川に出ると御手洗場がありま…
松尾芭蕉(まつおばしょう)は正保元年(1644年)に伊賀上野(現・三重県上野市赤坂町)に生誕。松尾家は農家でしたが、松尾の苗字を許された家柄。侍大将・藤堂良清の嗣子・良忠(俳号は蝉吟)に仕え、藤堂良忠とともに俳諧の道に入…
松尾芭蕉の故郷、伊賀上野(三重県伊賀市)には「芭蕉五庵」(無名庵・蓑虫庵・東麓庵・西麓庵・瓢竹庵)と呼ばれる芭蕉にゆかりの5ヶ所の草庵がありましたが唯一現存するのが蓑虫庵(みのむしあん)。貞享5年(1688年)、芭蕉の門…
「輪中」とは木曽三川(きそさんせん=木曽川、長良川、揖斐川)の河口部に広がる湿地帯(ゼロメートル地帯)の水害を防ぐために高い堤防で囲まれた地域のことで、輪中の郷のある桑名市長島町もそのひとつ。輪中の郷では、木曽三川の「輪…
伊勢と奥志摩を結ぶパールロード(三重県道128号鳥羽阿児線)途中、鳥羽市相差(おうさつ)地区への入口に位置する展望台が面白展望台。志摩市と鳥羽市の境にある的矢湾(まとやわん)や安乗埼灯台、大王埼灯台までリアス式海岸の海岸…
兵庫県三木市、神戸電鉄粟生線・三木上の丸駅(みきうえのまるえき)のすぐ南、美嚢川に臨む中世の平山城跡が三木城(上の丸公園・上の丸稲荷神社)。明応元年(1492年)頃、東播磨八郡を領有した別所則治(べっしょ のりはる)が築…
兵庫県三木市平井山東南の山麓にあるのが竹中半兵衛の墓。軍師として名高い竹中半兵衛(竹中重治)は三木城攻防戦の最中、平井山の陣中で病没。三木合戦で、羽柴秀吉は黒田官兵衛、竹中半兵衛という2人の希代の軍師を片腕にしていますが…
神戸市東灘区にある寛保3年(1743年)創業、白鶴酒造の旧酒蔵を再生した企業博物館が白鶴酒造資料館。本店1号蔵として、大正時代初期に建造、昭和44年3月まで稼働した蔵を資料館として再生したもの。「白鶴」という銘柄も延享4…
兵庫県神戸市東灘区にある清酒メーカー・菊正宗酒造の記念館が菊正宗酒造記念館で、そのテーマは「酒造りの原点を知ること」。木の香もすがすがしい建物内に、国の重要有形民俗文化財「灘の酒造用具」を多数展示しています。用具の使い方…
兵庫県姫路市御国野町国分寺にある全長143mの前方後円墳で、西播磨では最大の古墳が壇場山古墳(だんじょうざんこふん)。5世紀前半の築造と推測され、幅20mほどの周濠を巡らし、その外側には周庭帯を有していました。神功皇后の…
兵庫県姫路市御国野町国分寺、壇場山古墳(だんじょうざんこふん)の北側の住宅地の一角に、小さな碑が立つだけの遺跡が播磨国分尼寺跡。天平13年(741年)、聖武天皇の詔により、諸国に建てられた国分尼寺(法華滅罪之寺)の跡。東…
国分寺は天平13年(741年)、聖武天皇の詔により、諸国の中心である国府に一寺ずつ建立された官寺で、正式名は金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)。播磨国(はりまのくに)に置かれた播磨国分寺の跡は、…
兵庫県神戸市灘区にある沢の鶴酒造の酒蔵を利用した企業博物館が沢の鶴資料館。沢の鶴酒造は、享保2年(1717年)創業の老舗酒造メーカー。灘五郷の一つ西郷に本社がありますが、江戸時代末期築の大石蔵(収蔵物とともに兵庫県の有形…
兵庫県神戸市灘区の王子動物園内に移築保存された異人館が旧ハンター住宅。明治40年頃、イギリス人実業家エドワード・ハズレット・ハンター(Edward Hazlett Hunter)が購入、移築し大幅な改造が行なわれています…