旧久保田家住宅
山口県萩市、萩城下の商家が並ぶ呉服町の御成道沿い、萩随一の豪商だった菊屋家住宅の向かいに建つ商家が旧久保田家住宅。久保田家は、江戸時代後期に近江から萩に移り、初代・久保田庄七が熊谷町の久保田家の分家となり、呉服商を開いた…
山口県萩市、萩城下の商家が並ぶ呉服町の御成道沿い、萩随一の豪商だった菊屋家住宅の向かいに建つ商家が旧久保田家住宅。久保田家は、江戸時代後期に近江から萩に移り、初代・久保田庄七が熊谷町の久保田家の分家となり、呉服商を開いた…
山口県萩市、木戸孝允旧宅の先、江戸屋横丁のやや奥まったところに建つ真言宗御室派の寺、円政寺(えんせいじ)。鎌倉時代に大内氏の祈願所として現在の山口市円政寺町に創建され、慶長9年(1604年)、毛利輝元の萩城築城と同時に、…
山口県萩市、土原地区にある武家屋敷の長屋門が小川家長屋門(こがわけながやもん)。小川家初代は毛利元就に仕え、その後、萩藩の大組士(500石)となり、幕末期の当主・小川厚狭佐(こがわあさのすけ)は慶応元年(1865年)〜明…
山口県萩市、かつての萩城三の丸、堀内にある益田家は、永代家老を務めた萩藩の重臣。屋敷が城下と結ぶ北総門に近い位置にあったため、見張り台も兼ねた矢倉をもっていたという。それが旧益田家物見矢倉で、北の総門からの人の出入りを見…
山口県萩市、川島地区を流れる人工河川の藍場川に面して建つのが桂太郎旧宅。弘化4年(1847年)に生まれ、3歳でこの川島地区に移り住んだ桂太郎は、のちに内閣総理大臣(第11代、13代、15代)に上りつめた人物。現在の建物は…
山口県萩市、川島地区の桂太郎旧宅近く、人工河川の藍場川に面して建つ武家屋敷が旧湯川家屋敷。長屋門があることでから、幕末に建てられた中級武士の邸宅と推測できます。船が通りやすいように高く造られた玄関口から道に架かる石橋のほ…
山梨県富士吉田市、日本武尊(やまとたける)が東征のおり、神社近くの大塚丘から富士を遥拝したのが起源と伝えられる古社で、世界遺産富士山(「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」)の構成資産のひとつ。富士山に登る吉田口登山道の起点…
愛知県稲沢市国府宮(こうのみや)にある古社が尾張大国霊神社(おわりおおくにたまじんじゃ)。尾張国の国府が近くにあり、尾張国に赴任した国司が国内の神社を巡拝する制度を簡略化するため、国府近くに選定、あるいは創建した尾張国総…
岩手県奥州市水沢黒石町にある天台宗の古刹、黒石寺(こくせきじ)。国の無形文化財に選定される『黒石寺蘇民祭』で有名。寺伝によれば、天平元年(729年)、行基が東北地方初の寺として開いたという伝承もあり、大同2年(807年)…
岡山県美作市にある智頭急行智頭線の駅が宮本武蔵駅。平成6年12月3日の開業で、日本で初めて人名が付けられた駅です。智頭急行は、兵庫県の上郡(かみごおり)駅と鳥取県の智頭駅間、56kmを結ぶ第三セクター鉄道。無人駅のホーム…
岡山県美作市宮本、武蔵の里五輪坊の回遊式庭園そばに立つのが青年期宮本武蔵像。2mもの長身の武蔵像は、晩年の自画像を基に、コンピューターグラフィックにより復元したもの。制作は、文化勲章受賞者で彫刻界の巨匠、富永直樹(とみな…
岡山県岡山市東区にある高野山真言宗別格本山が西大寺でその本坊が西大寺観音院。奈良時代建立という岡山県でも屈指の古刹で、「日本三大奇祭」のひとつで、数千ものふんどし姿の男たちが2本の宝木(しんぎ)を奪い合う国の重要無形民俗…
岡山県総社市井尻野にある臨済宗東福寺派の寺の中本山、井山宝福寺(いやまほうふくじ/井山は山号)。山門、仏殿、方丈、書院など、禅宗様式の七堂伽藍が建ち並び、壮観。朱塗りの三重塔は永和2年(1376年)の建造で、国の重要文化…
岡山県岡山市中区、岡山郊外、円山にある臨済宗妙心寺派の寺が曹源寺。元禄11年(1698年)、後楽園造営で知られる岡山藩2代藩主・池田綱政(いけだつなまさ)が、池田家の菩提寺として建立した寺。本堂背後の山腹には、岡山藩主池…
愛知県岡崎市井田町にあった中世の城が井田城。徳川家康生誕の岡崎城と、徳川家(松平家)の菩提寺・大樹寺(だいじゅじ )を結ぶ線の中間という、重要な位置にあり、徳川四天王(酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政)の…
東京都八丈町大賀郷、八丈島の西岸、八重根港に近い船戸鼻にある溶岩流の岩海が南原千畳岩(南原千畳敷)。整備された南原園地の南端にあるのが宇喜多秀家と豪姫の像です。平成9年、岡山城築城400年を記念して、岡山城の方角を仲睦ま…
東京都八丈町大賀郷、八丈島の西岸、八重根港に近い船戸鼻にある溶岩流の岩海が南原千畳岩(南原千畳敷)。八丈島火山・八丈富士(西山)の噴火で流出した、玄武岩の溶岩流が固まってできた溶岩台地で、幅100m、長さ500mという大…
東京都八丈町大賀郷にあるのが豊臣政権で五大老のひとりだった宇喜多秀家の墓。備前岡山城主として備中・備前・美作57万4000石を領有する大名でしたが、関ヶ原の合戦で西軍の副大将となり、敗戦。前田利長らの懇願で、死罪を免れて…