仲村渠樋川
沖縄県南城市(なんじょうし)にある井泉(せいせん=共同用水施設)が仲村渠樋川(なかんだかりひーじゃー)。南城市を走る国道331号から沖縄県道137号(佐敷玉城線)に入り、百名交差点を過ぎたあたりが仲村渠集落。県道から東へ…
沖縄県南城市(なんじょうし)にある井泉(せいせん=共同用水施設)が仲村渠樋川(なかんだかりひーじゃー)。南城市を走る国道331号から沖縄県道137号(佐敷玉城線)に入り、百名交差点を過ぎたあたりが仲村渠集落。県道から東へ…
沖縄県糸満市大里の南山城跡(なんざんぐすくあと)近くにある湧水が嘉手志川(かでしがー)。三山時代に栄えた南山王の居城・南山城は大里按司(おおざとあじ)をはじめとする南山王統の居城。玉城、知念にまで及ぶ一大勢力を誇りました…
沖縄県南城市(なんじょうし)、グスクロード・垣花城跡(かきのはなぐすくあと)近くにある湧水群が垣花樋川(かきのはなひーじゃー)。環境省の名水百選(昭和の名水)に認定される日本最南端がこの垣花樋川です。沖縄では湧き水をカー…
沖縄県那覇市、首里城の瑞泉門の門前にある琉球石灰岩の間から清冽な水が湧き出す樋口が龍樋。龍の口から湧水が湧き出す場所で、王宮の飲料水として使われていました。1719年に中国から琉球に来た冊封使(さっぽうし)の徐葆光(じょ…
沖縄県那覇市の首里城近くにある魚小堀(イユグムイ)とも呼ばれる池、龍潭(りゅうたん)。1427年、琉球を統一した尚巴志王(しょうはしおう)が造らせた池。重陽(ちょうよう)の日(旧暦9月9日)にはこの池で重陽之宴が設けられ…
沖縄県那覇市、首里公園にある円覚寺跡総門前の円鑑池(えんかんち)の中の島にある小堂とそこに渡る橋が天女橋・弁財天堂。弁財天堂は、1502年に、朝鮮王から贈られた経典を収納するため琉球王・尚真王(しょうしんおう)が建立。そ…
沖縄県那覇市にある臨済宗の寺で沖縄随一の大寺の跡が円覚寺跡。琉球王朝の黄金時代を築いた尚真王(しょうしんおう)が、1494年に3年の歳月をかけて建立した琉球王家の菩提寺。開山は日本の禅僧・芥隠承琥(かいいんじょうこ)。名…
大阪市の土佐堀川に架かる歩行者専用橋が錦橋(にしきばし)。昭和6年に土佐堀川の浄化を目的に設置された土佐堀川可動堰が前身。大阪市の第一次都市計画で市内6カ所(堂島川、土佐堀川、長堀川、道頓堀川、江戸堀川、京町堀川)に設置…
大阪市の堂島川(旧淀川)に架かる美しい歩行者専用橋が水晶橋。もともとは橋ではなく、堂島川の水質改善を目的に築かれた堂島川可動堰(昭和4年完成)。河川浄化を目的として建設されたゲートでしたが、昭和57年に鉄筋コンクリートア…
大阪市北区の土佐堀川に架かる鉄筋コンクリート造りのアーチ橋が淀屋橋。大正10年〜昭和16年に行なわれた大阪の第一次都市計画の際、公募されたデザインの橋で、昭和10年完成、国の重要文化財に指定されています。御堂筋(国道25…
大阪市北区の堂島川(旧淀川)に架かる鉄筋コンクリート造りのアーチ橋が大江橋。大正10年〜昭和16年に行なわれた大阪の第一次都市計画の際、公募されたデザインの橋で、昭和10年完成、国の重要文化財に指定されています。パリのセ…
沖縄県宮古島市、伊良部島に寄り添うように位置する下地島(しもじしま)。宮古島とは、伊良部島を経由して橋で結ばれています。そんな下地島の大部分を占めるのが我が国唯一のパイロット訓練飛行場として建設された下地島空港。滑走路の…
大阪市街地を流れる大川に架る橋が天満橋(てんまばし)。すぐ下流側、中之島公園に架る天神橋とともに大阪天満宮の参道の橋というのが名の由来で、上流から天満橋、天神橋、難波橋と連続する「浪華三大橋」のひとつ。大川・中之島の橋梁…
大阪市街を流れる大川に架る橋が天神橋。大川は現在、中之島の拡張で、堂島川と土佐堀川に分断され、天神橋も中央に中之島公園を挟んで2つの川をまたいでいます。橋の北側には、日本一長い商店街として知られる天神橋筋商店街、そして大…
大阪国際空港(伊丹空港)の滑走路の南端には猪名川の支流、千里川が流れていますが、その千里川土手(千里川堤防/大阪府豊中市)は飛行機ウォチングの絶好のポイントになっています。滑走路の端で大迫力で着陸する飛行機を見上げること…
大阪市中央区の船場、御堂筋沿いにある大阪ガスの本社ビルが大阪瓦斯ビルヂング(大阪ガスビル)。昭和8年に竣工したレトロな建物は、国の登録有形文化財に指定されています。鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上8階建てで、塔屋を除いた軒…
今や大阪の名所となったグリコのネオン塔(道頓堀グリコサイン)は道頓堀川に架る戎橋の南詰にあります。初代のグリコのネオン塔が立ったのは昭和10年。高さ33mのネオン塔は、トレードマークのランナーとグリコの文字を6色に変化さ…
大阪市のメインストリートである御堂筋(みどうすじ)は第7代大阪市長・関一(せきはじめ)の「都市大改造計画」の提唱で大正15年に拡幅工事が始まり、3375万円の巨費を投じて昭和12年に完成した大通り。明治22年、鉄道の開通…