薩長同盟締結地(近衛家別邸・御花畑御屋敷跡)
慶応2年1月21日(1866年3月7日)に近衛家別邸・御花畑屋敷(京都市上京区室町通鞍馬口下ル)で締結された、薩摩藩と長州藩の同盟が薩長同盟。坂本龍馬や中岡慎太郎の斡旋もあって、薩摩藩の西郷隆盛、長州藩の木戸貫治(木戸孝…
慶応2年1月21日(1866年3月7日)に近衛家別邸・御花畑屋敷(京都市上京区室町通鞍馬口下ル)で締結された、薩摩藩と長州藩の同盟が薩長同盟。坂本龍馬や中岡慎太郎の斡旋もあって、薩摩藩の西郷隆盛、長州藩の木戸貫治(木戸孝…
天平8年(736年)、徳道上人の創建と伝わる鎌倉長谷にある浄土宗の古刹、長谷寺(はせでら)。坂東三十三観音第4番霊場で本尊は十一面観世音菩薩。高台にあるため、長谷界隈でもっとも眺めがいい寺で、鎌倉の海岸線を眺望します。そ…
近江八幡市安土町にある古社が沙沙貴神社(ささきじんじゃ)。神代の昔、少彦名命(すくなひこのみこと)を祀ったことに始まり、古代に近江国(おうみのくに=現・滋賀県)に勢力を誇った豪族・沙沙貴山君(ささきやまぎみ)が大彦命(お…
長崎市内を流れる中島川に架かる眼鏡橋は日本で初めてつくられたアーチ型石橋。唐寺である興福寺第2代目住職の黙子如定(もくすにょじょう)が、参詣者のためにと江戸時代初めの寛永11年(1634年)に架けられたといわれ、長さ23…
諫早城(いさはやじょう=高城城)の城跡を整備した長崎県諫早市の諫早公園。その園内にある眼鏡橋(めがねばし)はもともと、諫早公園のそばを流れる暴れ川・本明川に架かっていた、天保10年(1839年)架橋の石橋。橋に階段があり…
佐世保市にある九十九島を眺望する絶景展望台の石岳展望台。道路から山道を歩かなければならないため、かつてはカメラマンなど地元の人のみが訪れていた知る人ぞ知る穴場でした。それが2003年公開のハリウッド映画『ラストサムライ』…
寿永2年5月11日(1183年6月2日)、木曽義仲(源義仲)率いる源氏が平維盛の平家と激突した砺波山合戦(となみやまがっせん)の古戦場が、倶利伽羅峠古戦場(くりからとうげこせんじょう=倶利伽羅県定公園)。牛500頭の角に…
昭和5年に運輸省航海練習所の元練習船として進水し、数々の遠洋航海に出た日本丸。昭和59年に練習船としての役目を終え、横浜に永久的に錨を下ろしました。その帆船日本丸が係留保存されるのが横浜みなとみらい21地区にある日本丸メ…
長崎港ターミナルから定期便として運航される、やまざき海運の遊覧コース。3隻のクルーズ船「マルベージャ」(定員225名)、「マルベージャ3」(定員221名)、「観光丸」(定員300名)によるクルージングが楽しめる。軍艦島上…
長崎から18.5km、野母崎近くの海上にある周囲1.2kmの島が、軍艦島。海上から眺める姿が戦艦「土佐」に似ていたことから、軍艦島の名の由来ですが、正式名は端島(はしま)。もともとは水成岩の瀬だったのですが、三菱が買い取…
本土最西端の地、長崎県佐世保市の小佐々(こさざ)地区にある岬が神崎鼻(こうざきばな)。先端部分は神崎鼻公園として整備され、「日本本土最西端のシンボル塔」をはじめ、日本本土最端地との四極交流盟約を記念した直径15mの「四極…
西海国立公園に指定された多島海の群島、九十九島。それを南側から眺望するのが佐世保市各所にある展望所。船越展望所もそのひとつで、南九十九島観光の拠点、西海パールシーリゾートから車で3分ほどの距離にあるという好立地。展望台周…
応仁元年(1467年)~文明九年(1477年)の間、京を焼き尽くすほどの争乱になり、戦国時代移行の原因となった戦乱が応仁の乱。その戦火の緒戦の火蓋が切られたのが、京都市上京区の上御霊神社です。実は、当初は畠山家の家督争い…
鎌倉市長谷にある浄土宗の寺、高徳院。本尊は「鎌倉大仏」、「長谷の大仏」と通称される大仏(阿弥陀如来像)で、国宝。源頼朝が奈良大仏にならって大仏建立を発願しましたが、没後に建築が始まり、現在の大仏は建長年間の鋳造といわれて…
展海峰(てんかいほう)は、佐世保と九十九島を隔てる俵ヶ浦半島のほぼ中央(佐世保市下船越町)、標高166mにある展望台。展望台からは、真珠やカキの養殖イカダの浮かぶリアス式海岸の入江や、九十九島を見下ろす絶好のポイント。2…
北九十九島を隔てて平戸島を望む標高323mの冷水岳(ひやみずだけ/長崎県佐世保市)山頂に位置するのが冷水岳展望台。さらに北にある長串山公園とともに九十九島八景の中では最北部を楽しむ展望スポットになっています。冷水岳の山頂…
和歌山市加太沖、紀淡海峡に浮かぶ友ヶ島。瀬戸内海国立公園に指定される沖ノ島の西端、淡路島との間にある友ヶ島水道にある灯台で、慶応3年(1867年)4月、兵庫開港に伴う外国船の安全航行を確保するため、幕府がイギリスとの間で…
坂下門は江戸城西の丸造営直後に築かれた門が坂下門。江戸時代には西の丸大奥に近く、西の丸の通用門として利用されていました。現在、西の丸は皇居となっているため、宮内庁の管理で、通常は立ち入ることができません。文久2年1月15…