蓮華王院(三十三間堂)・太閤塀
京都府京都市東山区にある三十三間堂で知られる蓮華王院。豊臣秀吉(太閤)によって寄進された築地塀は、太閤塀と通称され(実は秀頼の寄進ですが)、国の重要文化財に指定されています。方広寺大仏殿が創建される際、蓮華王院を隔てるた…
京都府京都市東山区にある三十三間堂で知られる蓮華王院。豊臣秀吉(太閤)によって寄進された築地塀は、太閤塀と通称され(実は秀頼の寄進ですが)、国の重要文化財に指定されています。方広寺大仏殿が創建される際、蓮華王院を隔てるた…
兵庫県朝来市市生野町口銀谷の市川右岸沿いなどに残る生野鉱山専用軌道敷(三菱電気軌道)の跡がトロッコ道(トロッコ軌道跡)。生野鉱山(生野銀山)で産出した鉱石を運搬するための鉱山鉄道の廃線跡で、大正9年、電気機関車が導入され…
兵庫県朝来市(あさごし)佐嚢にある明治初期建築の洋館がムーセ旧居。明治維新とともに生野銀山(生野鉱山)が、日本で初の国営鉱山となり、フランス人技師の指導を仰いだ際、その住居として建築されたもの。明治4年暮れから明治5年に…
愛知県豊橋市にある吉田藩の藩庁だった吉田城。その城跡は現在、豊橋公園になっていますが、豊橋公園正門は、かつての歩兵第18連隊正門(歩兵第十八聯隊正門)。正門の脇にはコンクリート造りの哨舎跡(しょうしゃあと)が残されていま…
中世に三河国渥美郡今橋(現在の愛知県豊橋市今橋町)に築かれた吉田城。江戸時代には吉田藩の政庁となった城で、現在では本丸、二の丸、三の丸一帯が豊橋公園として整備され、本丸北西の鉄櫓(くろがねやぐら)跡に模擬櫓が再建されてい…
愛知県岡崎市六供町(ろっくちょう)にあるヨーロッパの古城のような佇まいの塔が六供配水場配水塔(ろっくはいすいじょうはいすいとう)。昭和9年5月31日に建てられた配水塔ですが、今も現役。敷地内は立ち入り禁止です…
愛知県は、ヤマト王権との密接な関係、そして古代に尾張国を支配し、全国の国造家の中でも屈指の勢力を誇った尾張国造(おわりのくにのみやつこ)が治めた地。断夫山古墳(名古屋市熱田区)、青塚古墳(犬山市)、そして白鳥塚古墳(名古…
愛知県名古屋市守山区の志段味古墳群(しだみこふんぐん)。名古屋市内で発見される古墳の3分の1にあたる66基が見つかっていますが、一帯は「歴史の里しだみ古墳群」として整備され、そのガイダンス施設が体感!しだみ古墳群ミュージ…
愛知県名古屋市守山区にある志段味古墳群(しだみこふんぐん)のひとつで、国の史跡に指定される帆立貝形古墳が志段味大塚古墳(しだみおおつかこふん)。墳丘長51mで、志段味古墳群の中で最大規模の古墳。現在、名古屋市が「歴史の里…
愛知県名古屋市西区中小田井(なかおたい)、庄内川の右岸に接する中小田井の町並みは、岩倉街道沿いに位置し、町家や土蔵が並んでいます。岩倉やその周辺から枇杷島(びわじま)の青果市場へ野菜類を運ぶ道として賑わった家並みで、2….
愛知県名古屋市守山区にある志段味古墳群(しだみこふんぐん)を形成する前方後円墳が白鳥塚古墳(しらとりづかこふん)。墳丘長は、115mで、断夫山古墳(だんぷさんこふん/151m・名古屋市)、青塚古墳(123m・犬山市、青塚…
愛知県名古屋市南区楠町にある『万葉集』に詠まれた年魚市潟(あゆちがた)を見下ろす高台にある小さな神社が村上社。境内にある幹回り10.8m、樹高20mにおよぶ楠木の大木は樹齢1000年以上、鎌倉時代には街道の道標にもなって…
前田速念寺は、庄内川沿いの尾張国海東郡前田村(現・愛知県名古屋市中川区前田西町)にある寺で前田城址。2代当主の前田長定は織田信長に仕え、速念寺の寺伝では前田利家はこの地で誕生している。通説では荒子城が生誕地ですが、利家の…
愛知県名古屋市中区栄にある大宝年間(701年~704年)に創建と伝わる古社、若宮八幡社。八幡宮ではなく若宮八幡というのは、八幡宮の祭神である応神天皇の息子・仁徳天皇を祀る神社ということ。往時には現在の名古屋城三の丸(那古…
愛知県常滑市金山にある中世の城の跡が大野城。昭和54年に模擬天守が造られ、一帯は城山公園として整備されています。戦国時代、大野城主で織田信長配下の佐治一成(さじかずなり)は、浅井三姉妹のお江(後の徳川秀忠・正室、崇源院/…
名古屋市南区見晴町の笠寺公園(見晴台遺跡)にあるミュージアムが名古屋市見晴台考古資料館。『万葉集』でも詠まれている年魚市潟(あゆちがた)を見下ろす笠寺の高台にあり、笠寺公園と整備される高台は、旧石器時代から室町時代にかけ…
愛知県名古屋市南区呼続町八幡西にある八幡社が桜田八幡社。名鉄本笠寺駅を起点とする名古屋市の史跡散策路『桜田勝景と古墳めぐり』コースの途中にある神社で、境内には『万葉集』にも詠まれた「年魚市潟」(あゆちがた)の景観を歌った…
愛知県豊田市足助町(あすけちょう)は、三河で産する塩を信州に運んだ、塩の道・中馬街道の宿場町として栄えた地。また、美濃とも結ばれ、交易の拠点として繁栄したのです。江戸時代以来の重厚な町家を多く残し、その町並みは、豊田市足…