千葉県南房総市富浦町、東京湾の湾口に突き出した緑豊かな半島にある大房岬砲台跡(東京湾要塞)。大房岬の砲台は江戸時代後期の文化8年(1811年)に江戸湾防備のために備えられた13門が始まり。その後、東京湾の入口を守る重要性から洲崎第一砲台と同年の昭和3年から4年がかりで砲台が築かれています。
大房岬自然公園に砲台の遺構が現存
東京湾要塞の一部となり、民間人の出入りは厳しく制限されたことから、結果として大房岬の自然が残され、大房岬自然公園として整備されています。
大房岬自然公園内には第二砲塔の基部、第二砲塔弾薬庫、第二照明所、発電所跡、探照灯格納庫などが残り、海岸部には魚雷発射に使われた桟橋などの跡(人間魚雷回天10型特攻基地跡)も。
岬全体が砲台敷地で、入口部分に看守衛舎、兵舎、食堂などの居住施設、砲具庫、油庫などが配され、先端の高台に砲台2基4門が40m間隔で設置されていました。
観測所は海側の崖にあり、そのほか、照明所、発電所などが置かれ、さらに海岸部には海軍の聴測所や魚雷艇基地などがあり、全体が要塞になっていたのです。
砲塔は、ワシントン軍縮会議(大正10年)の結果、削減が義務づけられ不要となった巡洋艦「鞍馬」(明治40年進水、大正12年廃船)の副砲2基(45口径20cm連装砲、砲の射程は18km)が備えられていますが、時はすでに航空機の時代に突入しており、実戦に使われたことはありませんでした。
軍縮会議で廃船や空母に転用した艦船の砲塔を、砲台にした砲塔砲台は、全国に12ヶ所あり、東京湾要塞では、大房岬のほか、洲崎第一砲台(現・ 千葉県館山市加賀名)、千代ヶ崎砲台(神奈川県横須賀市)、城ヶ島砲台(神奈川県三浦市三崎町)があります。
大房岬砲台跡(東京湾要塞) | |
名称 | 大房岬砲台跡(東京湾要塞)/たいぶさみさきほうだいあと(とうきょうわんようさい) |
所在地 | 千葉県南房総市富浦町多田良 |
関連HP | 大房岬自然公園公式ホームページ |
電車・バスで | JR富津駅から徒歩40分 |
ドライブで | 富津館山道路富津ICから約3.9km |
駐車場 | 80台/無料 |
問い合わせ | 大房岬ビジターセンター TEL:0470-33-4551 |
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