野島埼灯台

房総半島最南端、太平洋に突き出ている南房総市白浜町の台地に建つ灯台。灯火部分に上ることの可能な参観灯台で、狭く急な階段を上れば太平洋と、南房総国定公園に指定された南房総の岩礁地帯を一望に。観音埼灯台についで古い灯台で「日本の灯台50選」に選定されるほか、国の登録有形文化財にもなっています。「灯台資料展示館」を併設。

徳川幕府が結んだ江戸条約で建設された歴史ある灯台

野島埼灯台の灯火部分に上ることも可能(参観灯台)
幕末に野島埼灯台を設計したフランス人技師・ヴェルニー

1866(慶応2)年にアメリカ、イギリス、フランス、オランダと結んだ江戸条約(「改税約書」)によって設置を約束した8ヶ所(野島埼灯台、観音埼灯台、樫野埼灯台、神子元島灯台、剱埼灯台、伊王島灯台、佐多岬灯台、潮岬灯台)の灯台のひとつ。
(「改税約書」第11条=「日本政府ハ外国交易ノタメ開キタル各港最寄船ノ出入安全ノタメ灯明台、浮木、瀬印木ヲ備フベシ」)

江戸湾(東京湾)に入る船にとっての重要な指標となる場所で、沖合の海難事故が多かったため開国とともに設置が急がれた灯台だったのです。

フランスの技術者で横須賀造兵廠、横須賀海軍施設ドックなど建造したF・L・ヴェルニー(Francois Leonce Verny)の設計。

明治2年1月1日に、対岸の観音埼灯台が全国にさきがけて初点灯したのに呼応して、9日後の明治2年1月10日、木造四角櫓型の仮灯台を設置。
明治2年12月にレンガ造りの八角形という独特のフォルムの灯台が完成しています。

元禄16年11月23日(1703年12月31日)の元禄地震では、野島崎付近が震源で、房総半島突端が3.4m隆起し、野島(小島)が完全に陸続きとなって、野島崎が誕生したのです。

関東大震災で、この地は2mも隆起し(灯台周辺の岩礁は、元禄地震と関東大震災で隆起したもの=海岸段丘のようになっています)、灯台も途中(地上6mの部分)から折れるという大きな被害を受けています。

野島埼灯台の夕景
7月中旬に行なわれる『白浜海女まつり』

現在の灯台は大正14年の再建で、国の登録有形文化財

灯火部分から西側の眺め
房総半島最南端を眼下に

現存するものは大正14年にコンクリート造りで再建されたもの。
高さは29m(平均水面上から灯火まで38m)、灯火部分まで上れ、参観チケットで付属の灯台資料展示室「きらりん館」にも入場可能です。

灯台の上からは洋上に伊豆大島や沖に行き交う船を眺望。
また周辺は磯沿いに歩く遊歩道が整備され、散策に絶好です。
灯台を背に「最南端の碑」も立つので灯台と「最南端の碑」とのツーショット撮影も可能。

野島崎を一周する遊歩道
「房総半島最南端の地」碑
かつては島だった野島崎
関東大震災で隆起した岩礁

野島埼灯台から周囲の海岸線を見渡した際、地上に露出する周囲の岩礁は、関東大震災で隆起した部分。
関東大震災の際に、南房総南端部は2mほど隆起していますが、実は、野島崎という名の通り、灯台のある岬は以前は島だったのだとか。
1703(元禄16)年のなど、6000年前から繰り返される地震で隆起を繰り返し、今のような陸続きになったもの。
元禄大地震では、房総半島南端では4mも隆起しているのです(逆に鋸南町や鴨川市では沈降しています)。
実は、花狩を楽しめるお花畑なども1703(元禄16)年の地震で隆起して農地となったと推測されています。

野島埼灯台
名称 野島埼灯台/のじまざきとうだい
所在地 千葉県南房総市白浜町白浜630
関連HP 南房総市公式ホームページ
電車・バスで JR館山駅からJRバス安房神戸回り白浜行きで33分、野島崎灯台口下車、徒歩12分、またはJRバスフラワーライン経由安房白浜行きで51分、灯台前下車、徒歩5分
ドライブで 富津館山道路富浦ICから約18km
駐車場 130台/無料
問い合わせ 野島埼灯台資料展示室きらりん館 TEL:0470-38-3231
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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