白州灯台・岩松翁顕彰櫓

白洲灯台・岩松翁顕彰櫓

豊前国小倉(現在の北九州市小倉区)の庄屋・岩松助左衛門(いわまつすけざえもん)は、幕末の文久元年(1861年)、庄屋を退くとともに、小倉藩から小倉藩海上御用掛難破船支配役に任じられます。岩松助左衛門は灯台建設を進言し、私財や募金で白州灯台を着工。昭和38年、小倉城内に岩松翁顕彰櫓が築かれています。

小倉城内に岩松助左衛門が築いた灯籠台を模して顕彰櫓を建立

小倉北区長浜町には、江戸時代に長浜浦の庄屋を務めていた「岩松助左衛門生誕地」があります。
岩松助左衛門は、響灘が関門海峡へと入る海上交通の要衝でありながら暗礁が多く、海の難所とされていたことから、文久2年(1862年)4月、長さ140m、幅100mという大きな暗礁のあった白州への灯籠台築立願を小倉藩に提出。
それが受理され、私財と募金を集めて灯台建築に取り掛かり、明治3年に基礎工事が完成。

明治5年、岩松助左衛門は、灯台完成を見ることなくこの世を去っていますが、灯台建設は明治4年に設立された明治政府の灯台寮が引き継ぎ、明治6年9月6日に完成しています。

小倉城内には岩松助左衛門が設計した白州灯台を模した岩松翁顕彰櫓が建てられています。

ちなみに岩松助左衛門の墓は、西顕寺(北九州市小倉北区京町4-4-42)にあります。

白州灯台・岩松翁顕彰櫓
名称白州灯台・岩松翁顕彰櫓/しらすとうだい・いわまつおうけんしょうやぐら
所在地福岡県北九州市小倉北区城内2-1
関連HP北九州市公式ホームページ
電車・バスでJR西小倉駅から徒歩10分。または、JR小倉駅から徒歩15分
ドライブで北九州都市高速勝山ランプから約1km
駐車場市営勝山公園地下駐車場(500台/有料)
問い合わせ小倉城庭園 TEL:093-582-2747/FAX:093-562-5265
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
小倉城庭園・書院ゾーン

小倉城庭園・書院ゾーン

小笠原氏の別邸であった下屋敷(御遊所)跡を復元した大名庭園が小倉城庭園。江戸時代の武家の書院を再現し、茶室や展示棟になっています。庭園ゾーン、書院ゾーン、体験ゾーン、展示ゾーンの4つのエリアに分かれて、庭園ゾーンの大名庭園を模した池泉回遊式

小倉城

小倉城

関門海峡に面した小倉は九州、瀬戸内の入口に位置する交通の要衝。戦国時代の末に尾張国出身の毛利勝信(もうりかつのぶ=森勝信)が九州平定と肥後国人一揆鎮圧の功労で秀吉から豊前国小倉領を拝して築城したのが小倉城始まり。江戸時代には小倉藩の藩庁とな

小倉城庭園

小倉城庭園

かつての小倉城主、小笠原氏が茶の湯や能を楽しみ、客をもてなした下屋敷(したやしき)の跡を復元し、大名庭園と書院を再現した北九州市立の文化施設が小倉城庭園。「小笠原流礼法」の宗家でもある旗本・小笠原家も一族で、全国的にも珍しい「礼儀作法のテー

白州灯台

北九州市の沖合、日本海に浮かぶ藍島(あいのしま)の西2kmにある岩礁、白州(しらす)に建つのが白州灯台。幕末に小倉藩海上御用掛難破船支配役・岩松助左衛門が灯台の建設を決意し、明治政府が引き継いで明治6年に初点灯したのが初代の木造灯台。現在の

よく読まれている記事

こちらもどうぞ