岐阜県美濃市泉町、長良川に臨む小倉山の山上に建つ平山城が、小倉山城。慶長10年(1605年)、飛騨高山藩主・金森長近(かなもりながちか)が、養子の金森可重(かなもりありしげ)に高山城を譲って、隠居の城として築いた城。現在は小倉公園として整備され、本丸に模擬櫓、山頂に3階建ての展望台が建っています。
飛騨高山藩主・金森長近の隠居の城には、石垣が現存
慶長5年(1600年)の関ヶ原の合戦で、金森長近と養嗣子・金森可重は東軍に与し、郡上八幡城攻め(八幡城の合戦)などで功をあげます。
その功績から、徳川家康は美濃国武儀郡の上有知(こうずち)・関1万8000石、河内国金田(かなた=堺市北区金岡町)3000石を加増。
慶長10年(1605年)、80歳を越えた金森長近は、隠居の地を美濃・上有知に移し、鉈尾山城(なたおやまじょう)に入城。
鉈尾山城が古城山(標高437m)山頂に築かれた山城というという不便さもあったため、小倉山城を構築、山上に本丸と二の丸を、山麓に三の丸を配し、城下町を整備しています。
この時整備された城下町が、「うだつの上がる町並み」として知られる美濃市美濃町伝統的建造物群保存地区。
金森長近は、長良川舟運の川湊・上有知湊を開き、城下に郡上街道、牧谷街道、岐阜街道、津保街道、関街道といった街道を引き込んでいることからも、単なる隠居所ではなく、飛騨への入口を抑えるという意味合いがあったとも推測できます(山頂の展望台から長良川を眼下にする眺めで、その意を強く感じることでしょう)。
慶長13年(1608年)、金森長近が伏見で没した後は、実子の金森長光が小倉山城の城主となり、上有知藩を立藩。
慶長16年(1611年)、金森長光は嗣子無く没したため、廃藩となり、小倉山城も廃城となっています。
その後、尾張藩領となり、天明2年(1782年)、城跡に上有知代官所が設置されています。
小倉公園上の広場が本丸、下の広場が二の丸、美濃市図書館の建つ場所が三の丸だと推測され(居館は三の丸にありました)、上の広場(本丸跡)に模擬櫓、本丸北側の山頂(展望広場)に三層櫓風の展望台が建っています(小倉公園は明治33年開園の歴史ある公園です)。
小倉山城 | |
名称 | 小倉山城/おぐらやまじょう |
所在地 | 岐阜県美濃市泉町小倉山 |
関連HP | 美濃市公式ホームページ |
電車・バスで | 長良川鉄道梅山駅から徒歩15分 |
ドライブで | 東海北陸自動車道美濃ICから約3km |
駐車場 | 小倉公園駐車場を利用 |
問い合わせ | 美濃市教育委員会人づくり文化課 TEL:0575-35-2711 |
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