京、感神院祇園社(現在の八坂神社)の祭礼『祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)』が祇園祭のルーツ。全国の祇園社、天王社で行なわれてきましたが、そのうち、京の祇園祭と、会津田島祇園祭(福島県南会津町)、尾張津島天王祭(愛知県津島市)、博多祇園山笠(福岡県福岡市)が日本三大祇園祭(候補は4ヶ所)と呼ばれています。
そもそも祇園祭とは
日本における神仏習合の神である牛頭天王(ごずてんのう=本地仏は薬師如来)を祀ったのが京の感神院祇園社。
釈迦の生誕地に因む祇園精舎(ぎおんしょうじゃ=釈迦が説法を行った場所)の守護神とされ、
平安時代末期には疫病神・厄病神(やくびょうがみ)を鎮め退散させるために花笠や山鉾を出し、平安京の市中を練り歩いた御霊会(ごりょうえ=御霊による祟りを防ぐための鎮魂儀礼)が『祇園祭』のルーツです。
中世に牛頭天王信仰(祇園信仰)の隆盛で、感神院祇園社から分霊を勧請されて全国の祇園社、天王社が創建されたのです(その数は現在2300社にも及びます)。
明治初年の神仏分離、廃仏毀釈で祇園感神院は素戔嗚尊 (すさのをのみこと)を祀る八坂神社となり、全国の祇園社、天王社も神社に改められたのです。
祇園祭
祭礼日:毎年7月1日~7月31日/クライマックスは、7月17日、7月24日の山鉾巡行
場所:京都市
歴史:貞観年中(859年~877年)創始
内容:山鉾、花笠が京の市中を巡行
文化財指定ほか:国の重要無形民俗文化財、「山・鉾・屋台行事」としてユネスコ無形文化遺産/日本三大祭、京都三大祭、日本三大曳山祭
会津田島祇園祭
祭礼日:毎年7月22日〜7月24日/7月22日が宵祭、23日が本祭、24日が太々御神楽祭
場所:福島県南会津町
歴史:文治年間(1185年〜1189年)、領主・長沼宗政の祇園信仰から牛頭天王(神仏習合時代の神)を居城鎮護、厄除として祀ったのが始まりで、田島の鎮護・田出宇賀神社が『祗園祭』を取り入れました。
内容:屋台運行のほか、7月23日の七行器(ななほかい/食物を入れて持ち運ぶのに用いる器を7つ用意)行列がハイライト(「日本一の花嫁行列」とも)。
文化財指定ほか:国の重要無形民俗文化財(田島祇園祭のおとうや行事)
尾張津島天王祭
祭礼日:毎年7月第4土・日曜/土曜が宵祭、日曜が朝祭
場所:愛知県津島市
歴史:室町時代に創始。津島神社(神仏習合時代には津島牛頭天王社)は織田家の産土神(うぶすながみ)で、織田信長も見学。
内容:土曜の宵祭には、提灯が飾り付けられた巻藁舟5艘が津島楽を奏しながら(試楽)御旅所に漕ぎ渡り、日曜の朝祭は、市江車(いちえぐるま)を先頭に6艘の車楽船が能の出し物をかたどった置物を飾り、楽を奏でながら漕ぎ進みます。
文化財指定ほか:国の重要無形民俗文化財(「尾張津島天王祭の車楽舟行事」)、尾張津島天王祭車楽(だんじり)舟行事としてユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」に登録/日本三大提灯祭、日本三大川祭
博多祇園山笠
祭礼日:毎年7月1日〜7月15日/7月10日から「山舁き」(やまかき)が始まり、博多祇園山笠のクライマックスが7月15日の「追い山」
場所:福岡県福岡市
歴史:櫛田神社氏子の祇園神(素戔嗚尊)に対する奉納神事。鎌倉時代の仁治2年(1241年)、博多で疫病が流行した際、承天寺の開祖で自住の聖一国師(円爾)が博多の町民に担がれた木製の施餓鬼棚に乗り水を撒きながら町を清めてまわり疫病退散を祈祷したことが始まり。
内容:7月15日の「追い山」がクライマックスで、早朝4:59、一番山笠が櫛田入り奉納を皮切りに、合計8つの山笠が次々に櫛田入りを行ない、博多の町へと出ていく。
文化財指定ほか:国の重要無形民俗文化財、環境省の「残したい日本の音風景100選」選定、ユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」に登録
日本三大祇園祭とは!? | |
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