柳原蛭子神社

柳原蛭子神社

兵庫県神戸市兵庫区西柳原町、「柳原のえべっさん」(柳原えびす)と通称される西国街道の柳原にある神社が、柳原蛭子神社。柳原は兵庫津の西端に位置し、兵庫津の西国街道の出入口として栄え、近世には柳原惣門が建っていた場所。1月9日~11日の『十日えびす大祭』は有名です。

兵庫津の西端に鎮座する恵比寿神を祀る神社

柳原蛭子神社

柳原蛭子神社は、かつては西宮内町に鎮座していたといい、創建年代は定かでありません。
兵庫津を城下に組み込んだ兵庫城築城後の江戸時代に柳原に遷座しています。
現存する社殿は、阪神・淡路大震災(平成7年)の損壊を経て、平成22年の再建。
本殿は流造り、拝殿は千鳥唐破風造りで、耐震、防災を考えて鉄筋コンクリート造りですが、内部は木造、屋根も木造銅板葺きです。

境内にある石灯籠は、正徳2年(1712年)と文政年間(1818年〜1830年)の建立で、恵美酒講兵庫組の寄進。

1月9日~11日の『十日えびす大祭』は有名。
毎年、1月9日宵えびす(淡路人形座による淡路人形浄瑠璃奉納)、1月10日本えびす、1月11日残り福という日程で、福を求めて20万人の人々で賑わいます。
「十日えびすが済まんことには商売も身がはいらん」という風物詩です。
1月9日宵えびすには、神戸中央卸売市場・神戸水産物卸協同組合の有志が、まぐろ奉納神輿を勇壮に担ぎ、蛭子神社周辺の町内を周り、本殿へ大マグロやブリやタイなど海の幸が奉納する『まぐろ奉納神事』も行なわれます。

兵庫七福神めぐりで恵比須神を祀る神社です。

柳原蛭子神社
名称 柳原蛭子神社/やなぎはらえびすじんじゃ
所在地 兵庫県神戸市兵庫区西柳原町5-20
関連HP 柳原蛭子神社公式ホームページ
電車・バスで JR兵庫駅から徒歩6分
ドライブで 阪神高速道路3号神戸線柳原出口から約500m
駐車場 なし/周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 柳原蛭子神社 TEL:078-651-0183
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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