息継ぎ井戸

江戸城松之大廊下で播磨赤穂藩藩主・浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしなか)を切りつけた事件が起こったのが、元禄14年3月14日午前11時頃。その夕刻に江戸を発った藩士が、早駕籠(はやかご)で赤穂に向かい、赤穂城下に到着して一息ついた「息継ぎ井戸」が現存しています。

108時間かけて赤穂に到着した藩士がここで一息

浅野長広(浅野長矩の弟)の書状を携え、早駕籠で江戸を発った早水藤左衛門(はやみとうざえもん=早水満尭/はやみみつたか)、萱野三平(かやのさんぺい=萱野重実/かやのしげざね)は、4昼夜半駕籠に揺られ続けたといいます。
正使・早水藤左衛門(37歳)と介添え・萱野三平(26歳)が赤穂城下に着いたのは3月19日の早朝で、まずこの井戸で喉を潤してから、家老である大石内蔵助邸へと向かったのです。

江戸〜赤穂は、155里(620km)は、通常飛脚だと8日間かかるので、いかに早かったかがよくわかります。
屈強な若者がその任にあたり、内臓を保護する意味で腹巻きをきっちり絞めて駕籠に乗り、駕籠の天井から紐を吊してこれに必死につかまり、乗ったまま眠れるように駕籠の後方に体をしばりつけるという態勢だったとか。

早駕籠は、4人の担ぎ手と2人の引き手、押し手が1組となり宿場ごとに乗り継ぐシステム。
不眠不休で走るため、伝令が「通しの早打ち」と触れを出し、各宿場の駕籠問屋は人足を揃えて待機しする仕組み。
江戸〜赤穂間の費用は20両ですから、現在に直せば数十万以上という感じでしょうか。

当初は道の反対側「みなと銀行」側にありましたが、平成12年に移設されています。

9:00〜20:00の毎正時に、からくり人形が『忠臣蔵』名場面「松の廊下」、「はやかご」、「勝どき」などを再現するからくり時計「義士あんどん」も設置されています。

息継ぎ井戸
名称息継ぎ井戸/いきつぎいど
所在地兵庫県赤穂市加里屋
関連HP赤穂市公式ホームページ
電車・バスでJR播州赤穂駅から徒歩7分
ドライブで山陽自動車道赤穂ICから約3.7km
駐車場なし/周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ赤穂市産業観光課 TEL:0791-43-6839
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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