北の庄城跡(柴田神社)

戦国時代、柴田勝家とお市の居城だったのが北の庄城。福井市街の中心に位置する北の庄城跡には、柴田勝家と、清州会議以降その妻となったお市を祀る柴田神社が鎮座しています。北の庄城の本丸の跡地に建ち、隣接の柴田公園とともに、往時にはここに北の庄城の天守が聳えていました。

境内社に浅井三姉妹を祀る三姉妹神社も

北の庄城は、江戸時代初め、徳川家康の次男・結城秀康(ゆうきひでやす)が福井城を築城する際に、破却。
勝家・お市を祀る石祠を福井城内の神祠として祀ったものがルーツとされています。

明治23年に旧福井藩主松平春嶽らにより、柴田神社が築かれました。
現在の社殿は平成10年の再建で、再建時に市の三人の娘、茶々・初・江の浅井三姉妹(あざいさんしまい)を祀る境内社・三姉妹神社が創建されています。

三姉妹神社
北の庄城跡(柴田神社)
名称北の庄城跡(柴田神社)/きたのしょうじょうせき(しばたじんじゃ)
所在地福井県福井市中央1-21-17
関連HP柴田神社公式ホームページ
電車・バスでJR福井駅から徒歩5分
ドライブで北陸自動車道福井ICから約4.5km
駐車場10台/無料
問い合わせ柴田神社 TEL:0776-23-0849
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
柴田勝家

柴田さんのルーツを探せ!

柴田さんの柴とは雑木のことで、「柴(木々の中)にある田」という地形由来の姓。柴犬の柴は、小さいと意味する「シバ」という古語なので、棚田の小さい田という意味もあったのかもしれない。歴史に残る柴田さんのなかでもっとも有名なのが、戦国武将の柴田勝

北の庄城跡(柴田公園)

福井駅から南西500mにある柴田公園は、戦国時代末期に柴田勝家の居城・越前北の庄城跡。浅井長政と運命をともにした朝倉氏(朝倉義景)の滅亡後、越前の一向一揆を平定した功績により柴田勝家が越前を領有。1575(天正3)年から4年の歳月をかけて築

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