中尊寺・金色堂

中尊寺・金色堂

岩手県平泉町の中尊寺にある平安時代後期建立の仏堂が金色堂。棟木墨書銘から天治元年(1124年)8月20日、金色堂が上棟したことが判明しています。奥州藤原氏初代・藤原清衡(ふじわらのきよひら)69歳の時のこと。平等院鳳凰堂と並ぶ、平安時代の仏堂(阿弥陀堂建築)として国宝、世界遺産の構成資産になっています。

創建当初はその名の通り、金色に輝いていた!

金色堂は、一辺が5.5mという小型の仏堂。
貴重な建物ということで、巨大なガラスケースに納められて外気と遮断され、さらに鉄筋コンクリートの覆堂(ふくどう)で覆われています。

阿弥陀堂は基本的に西方の極楽浄土への往生を願うため東を正面して建てられますが、この金色堂も東面しています。
鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』に中尊寺経蔵別当・心蓮が源頼朝に差し出した「寺塔已下注文」が記されていますが、「金色堂 上下四壁は皆金色なり」と記載されているため、その名の通り、創建当初は金色に輝いていたことがわかります。

須弥壇内には藤原四代のミイラ化した遺体が安置されており、中央壇に藤原清衡、向かって左の右壇に奥州藤原氏2代・藤原基衡(ふじわらのもとひら)、左壇に3代・藤原秀衡(ふじわらのひでひら)の遺体が、さらに右壇に藤原泰衡(ふじわらのやすひら=義経を自害へと追いやり、頼朝に滅ぼされた奥州藤原氏最後の当主)の首級が安置されています。
中央壇の高欄にはアフリカゾウの象牙が貼られていますが、この象牙、十三湊(とさみなと=青森県五所川原市の十三湖あたりにあった中世の貿易港)の北方交易で、北宋(中国)からもたらされたものと推測されています。

中尊寺は、世界遺産「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-」の構成資産にもなっています。

中尊寺・金色堂
名称中尊寺・金色堂/ちゅうそんじ・こんじきどう
Chuson-ji Temple,Konjikidō Golden Hall
所在地岩手県西磐井郡平泉町衣関202
関連HP中尊寺公式ホームページ
電車・バスでJR平泉駅から岩手県交通バス中尊寺・水沢行きで4分、中尊寺下車、徒歩15分。またはJR一ノ関駅から岩手県交通バス中尊寺・水沢行きで22分、終点「中尊寺」下車
ドライブで東北自動車道平泉前沢ICから約4km
駐車場町営中尊寺第1・第2駐車場(350台/有料)
問い合わせ中尊寺 TEL:0191-46-2211/FAX:0191-46-2216
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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