神奈川県藤沢市江の島1丁目、江の島島内の入口に立つのが青銅の鳥居。江の島弁天橋を渡った先、最初に参詣者を出迎える一の鳥居で、神仏習合時代の江島弁財天信仰を今に伝える鳥居で、江の島詣(江島詣)最盛期の延亨4年(1747年)に建立。現在の鳥居は文政4年(1821年)の再建です。
江島弁財天参詣者を迎えた青銅の鳥居
明治初年の神仏分離、廃仏毀釈までは金亀山与願寺という寺で、江の島詣での目的は、江の島最奥の海蝕洞、江の島岩屋にあった岩屋本宮(現在の旅館「岩本楼本館」の前身、岩本坊が別当)に参拝すること。
御窟(おんいわや)を本宮といい、奥津宮を本宮御旅所、中津宮を上之宮、辺津宮を下之宮と呼んでいましたが、その参拝の玄関口となったのが、この青銅の鳥居です。
つまりはここからが神域ということに。
江戸時代後期には江戸庶民の行楽地として丹沢大山(智明権現)〜江の島(岩屋に祀られた弁財天を参詣)〜鎌倉〜金沢八景を結ぶ観光ルートが流行し、6年に一度の開帳の時には、多数の参詣人で賑わいました。
明治24年に陸側から江の島に桟橋が架橋されるまでは、干潮時に歩いて渡る以外は、渡船や人夫に背負われて渡り、たどり着いた最初の場所がこの青銅の鳥居だったので、実に印象深かったと思われます。
青銅の鳥居の扁額の文字は、神仏習合時代には「大辨財天」でしたが、現在は「江島大明神」になっています。
浮世絵に描かれた青銅の鳥居
歌川広重の『冨士三十六景 相模江之島入口』は、広重没後の安政6年(1859年)、蔦屋吉蔵(版元)により出版が開始された浮世絵のシリーズ。
その20景目が「相模江之島入口」です。
江戸と江の島を結ぶ、「相模七里か浜」が19景目で、江島弁財天の参詣ルートで連続して描いています。
鳥居の下に着物姿の参詣女性が3人描かれていますが、描かれる鳥居は、現存する青銅の鳥居ということに。
鳥居越しに富士山が描かれていますが、位置関係はデフォルメされているので(実際にはもっと左手に位置しています)、江の島のシンボル的な青銅の鳥居と、富士山を組み合わせて描いたのだと推測できます。
下の浮世絵は、歌川貞虎の『江戸風俗東錦絵 鎌倉七里ケ浜ヨリ江の嶋遠見』(大判錦絵3枚続)で天保10年(1839年)頃に描かれたもの。
干潮時に歩いて江の島に渡る参詣者、そして島の入口に青銅の鳥居が描かれています。
江の島・青銅の鳥居 | |
名称 | 江の島・青銅の鳥居/えのしま・せいどうのとりい |
所在地 | 神奈川県藤沢市江の島1-4-13 |
関連HP | 藤沢市観光公式ホームページ |
電車・バスで | 小田急線片瀬江ノ島駅から徒歩15分 |
ドライブで | 横浜横須賀道路朝比奈ICから約15km |
駐車場 | 江の島なぎさ駐車場(232台/有料) |
問い合わせ | 藤沢市観光センター TEL:0466-22-4141 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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