霊台橋

霊台橋

熊本県美里町を流れる緑川の本流・船津峡に架かる弘化4年(1847年)に建造された石造アーチ橋で、国の重要文化財に指定。本流の難所としても知られる船津峡に、人力のみで建造され、わずか7ヶ月で完成したと伝えられています。全長90m、高さ16m、幅5.5mで、江戸時代架橋の石造単一アーチ橋としては日本最大。

幕末に船津峡に架橋された石造単アーチ橋

江戸時代の日向往還の難所、船津峡。
渓谷への上り下りや、船での渡しという難儀さから文政2年(1819年)に木橋が架けられましたが、増水で流され「往来の旅人世々此渡に苦しむ」ことから砥用手永(ともちてなが/手永=熊本藩細川家独自の行政区画)の総庄屋・篠原善兵衛(ささはらぜんべえ)が石橋の架橋を発案し、種山石工の種山手永・卯助が棟梁となって総勢72人の石工が各地より集められ、建設。

地元の農民が架橋に参加し、予定より早く完成したため、中国の『孟子』のなかの文王霊台建造の話に似ていることから篠原善兵衛が霊台橋と名付けたもの。
その後、県道、さらには国道の橋となりましたが、昭和41年の新霊台橋完成で、人道橋として余生を送っています。

文化14年(1817年)架橋の雄亀滝橋(おけだけばし/熊本県美里町、熊本県の文化財)、嘉永7年(1854年)完成の通潤橋(つうじゅんきょう/熊本県山都町、国の重要文化財)とともに、熊本石工の卓越した技術を今に伝える江戸時代架橋の歴史ある橋です。
また、霊台橋の架橋技術は通潤橋にも生かされています。

取材・画像協力/熊本県商工観光労働部(観光経済交流局)観光物産課

霊台橋
名称霊台橋/れいだいきょう
所在地熊本県下益城郡美里町清水
関連HP美里町公式ホームページ
電車・バスでJR熊本駅から熊本市営バス熊本交通センター行きで10分、終点下車、熊本交通バス矢部行きに乗り換え1時間20分、霊台橋下車、すぐ
ドライブで九州自動車道松橋ICから約19km
駐車場30台/無料
問い合わせ美里町教育委員会 TEL:0964-46-2038
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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