金地院

金地院

金地院(こんちいん)は、南禅寺の塔頭寺院のひとつで、応永年間(1394年〜1428年)に足利義持(あしかがよしもち)が洛北の鷹ヶ峯(たかがみね)に創建。慶長10年(1605年)頃に以心崇伝(いしんすうでん)が南禅寺塔頭として現在の場所に移しました。国の特別名勝に指定される「鶴亀の庭」が有名です。

小堀遠州作庭の国の特別名勝「鶴亀の庭」が圧巻!

「鶴亀の庭」は、「黒衣の宰相」以心伝心全盛時代(10万石の大名待遇)に、小堀遠州が作庭した枯山水庭園。
小堀遠州の設計、「天下一の石組の名手」とされる賢庭(けんてい)が実際の作業を指揮して寛永9年(1632年)年頃に完成しています。
白砂で海、岩で鶴島、亀島を表現し、背後の刈り込みで深山幽谷を表すという壮大な意匠に注目を。

慶長16年(1611年)に伏見桃山城の一部を徳川家康から賜り移築された方丈は国の重要文化財。
室内の狩野探幽(かのうたんゆう)・狩野尚信(かのうなおのぶ)兄弟による襖絵(ふすまえ)が有名ですが、見学は事前の予約が必要。

明智門は、天正10年(1582年)、明智光秀が母の菩提のため大徳寺に建立した門を明治元年に移築したもの。

国の重要文化財に指定された八窓席は、小堀遠州好みの茶室。
創建当時は名称通り8ヶ所に窓が開いていましたが明治時代の改築で現在の窓は6ヶ所。
大徳寺「孤篷庵」、曼殊院の茶室とともに「京都三名席」に数えられています。

また境内の南奥には小さいながらも国の重要文化財に指定される東照宮があります。
寛永5年(1628年)、以心崇伝が徳川家康の遺言により、家康の遺髪と念持仏とを祀ったものと伝えられます。

「黒衣の宰相」以心崇伝(金地院崇伝)の寺として栄華を築いた

金地院
以心崇伝(金地院崇伝)

以心崇伝は、金地院を構えたことから金地院崇伝と呼ばれ、慶長10年(1605年)、37歳で鎌倉五山第一位の建長寺住職に、さらに3月には臨済宗五山派の最高位・南禅寺270世住職となり官寺の頂点に立ちます。

慶長13年(1608年)、相国寺の西笑承兌の推薦により徳川家康に招かれ駿府に赴き幕政に参画。
「黒衣の宰相」と呼ばれるほどに辣腕を発揮し、京都所司代・板倉勝重とともに全国の寺社を統括するための法制である武家諸法度を起草、布告。
慶長19年(1614年)、大坂の陣の発端にもなった方広寺の鐘銘事件にも関与したとされています。
南禅寺塔頭の金地院と江戸城内の金地院を往復しながら政務を司り、応仁の乱以降荒廃した南禅寺の再建にも尽力しています。
寛永10年(1633年)1月20日に江戸城内の金地院で死去。
南禅寺金地院内に後水尾天皇の勅額を掲げる以心崇伝の塔所(開山塔)が設けられています。

『徳川実紀』には以心崇伝の死去に関して、「慶長17年より天下僧尼のことを司るのみならず。大小の政事、異国往復の書簡に至るまでこの僧のあづからざることなし」と記されています。

金地院
以心崇伝の塔所(開山塔)

金地院 3つのチェックポイント

南禅寺の塔頭寺院で、東照宮も建っている
「鶴亀の庭」は、小堀遠州作の名園
方丈は伏見城の遺構、明智門は明智光秀ゆかりの門

金地院
名称金地院/こんちいん
Konchiin Temple
所在地京都府京都市左京区南禅寺福地町86-12
電車・バスでJR京都駅から市バス5・57系統で34分、南禅寺永観堂前下車、徒歩8分。または地下鉄東西線蹴上駅からインクラインをくぐり歩行者専用道で徒歩5分
ドライブで名神高速道路京都東ICから約14km
駐車場南禅寺駐車場(50台/有料)
問い合わせ金地院 TEL:075-771-3511/FAX:075-752-3520
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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