興福寺・五重塔

興福寺の国宝に指定される五重塔は、730(天平2)年、興福寺を創建した藤原不比等(ふじわらのふひと)の娘・光明皇后(聖武天皇の皇后)が創建したもの。度重なる兵火のため焼失し、現在の塔は1426(応永33)年に再建されたものと伝わります。

国宝に指定される塔は室町時代の再建

創建当初の高さは約45mという古代のタワーで、創建当初は元興寺などと並んで日本屈指の高さを誇る塔だったのです。

1180(治承4)年、治承・寿永の乱(源平合戦)による平清盛の命による平重衡(たいらのしげひら)の南都焼討で、五重塔を含めて多くの堂宇を焼失しています。

現存する塔は高さ50.1mで近世以前建立の塔としては、東寺に次いで国内2番目の高さ。
四方に薬師三尊像、釈迦三尊像、阿弥陀三尊像、弥勒三尊像が安置されています。

興福寺は「古都奈良の文化財」として世界遺産に登録。

五重塔が意味する仏教的な宇宙観

五重塔は、仏舎利(釈迦の遺骨)を祀る卒塔婆(ストゥーパ)が起源で、中国に伝わって楼閣形の層塔が導入され、朝鮮半島を経て飛鳥時代に日本に伝わりました。
法隆寺の五重塔が創建されたのは680(天武天皇9)年頃。
五重塔は、下から地(基礎)、水(塔身)、火(笠)、風(請花)、空(宝珠)からなり、「地・水・火・風・空」という5つの世界(五大思想)という仏教的な宇宙観を表しています。
自然は、「地(Prithvi/Bhumi)」、「火(Agni/Tejas)」、「空(Akasha)」、「水(Ap/Jala)」、「風/空気(Vayu/Pavan)」という五つの要素で構成されるというのは古代インドの哲学です。
ちなみに日本一高い五重塔は、鉄筋コンクリート製ですが、越前大仏で知られる清大寺(福井県勝山市)の五重塔で高さ75m、内部にはエレベーターが備えられています。

興福寺・五重塔
名称興福寺・五重塔/こうふくじ・ごじゅうのとう
Gojyu-no-to(Five-Storied Pagoda),Kofukuji Temple
所在地奈良県奈良市登大路町48
関連HP興福寺公式ホームページ
電車・バスでJR奈良駅から奈良交通バス市内循環で5分、県庁前下車すぐ。近鉄奈良線奈良駅の東改札口からすぐ
ドライブで京奈和自動車道木津ICから約6.4km
駐車場興福寺駐車場(46台/有料)
問い合わせ興福寺寺務所 TEL:0742-22-7755
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
『いざいざ奈良』興福寺編

『いざいざ奈良』キャンペーン興福寺編スタート

JR東海は、第6回目となる『いざいざ奈良』キャンペーンを展開。今回は興福寺編で、「いざ、いざ 興福寺」というセリフから始まるテレビCMも2024年8月29日(木)に放送開始。今回も旅人は鈴木亮平。興福寺を拝観した後、書院で庭を眺めながらスイ

興福寺「若草山からの興福寺遠望」

【新・南都八景】興福寺「若草山からの興福寺遠望」

奈良市の世界文化遺産「古都奈良の文化財」は令和5年で登録から25年の節目を迎えますが、奈良市観光協会では、12月1日、SNS映えする「新・南都八景」を発表。そのうちのひとつが興福寺「若草山からの興福寺遠望」。興福寺のシンボルともいえる五重塔

国宝・五重塔 全9塔完全ガイド

下層から地(基礎)、水(塔身)、火(笠)、風(請花)、虚空(宝珠)を意味する5層の屋根からなる五重塔。まさに仏教的な宇宙観を表すタワー(塔)で、そそり立つ姿は宇宙との交信タワーとも思われます。世界最古の木造五重塔の法隆寺・五重塔を筆頭に、

猿沢池

猿沢池

奈良県奈良市の奈良公園にある周囲360mの池が猿沢池(さるさわのいけ)。猿沢池から眺めた興福寺の五重塔は、奈良でもっとも人気のある景色で、「猿沢池月」 は、室町時代に誕生した南都八景のひとつ。池はもともと興福寺が行なう『放生会』(ほうじょう

興福寺・北円堂

721(養老5)年8月、興福寺創建者、藤原不比等(ふじわらのふひと)の一周忌に、元明上皇、元正天皇の両女帝が太政大臣の長屋王(ながやのおおきみ)に命じて創建した八角円堂。日本に現存する八角円堂のうち最も美しいと賞賛される堂で、もちろん国宝で

興福寺・三重塔

興福寺の三重塔は、1143(康治2)年、崇徳天皇(すとくてんのう)の中宮・藤原聖子(ふじわらのきよこ=皇嘉門院聖子/こうかもんいんせいこ)が創建し、1180(治承4)年、平重衡の兵火で焼失後、間もなく再建されたもので、北円堂とともに興福寺で

興福寺・南円堂

国宝の建築物が建ち並ぶ名刹・興福寺内に建つ観音堂が南円堂で、813(弘仁4)年、藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)が父・内麻呂(うちまろ)の追善のために建立したもので藤原氏の信仰の中心的な存在。日本最古の巡礼である西国三十三所第九番札所ともなっ

興福寺・東金堂

法相宗大本山、669(天智8)年に藤原鎌足の病気平癒を祈願して妻・額田王が造営した山階寺が始まりと伝わる古刹が奈良の興福寺。平城遷都の際、鎌足の息子・藤原不比等により現在地に移され寺名を興福寺と改めました。薬師如来像を本尊として祀る東金堂は

興福寺

奈良にある法相宗(ほっそうしゅう)の大本山が興福寺。奈良に都(平城京)があった時代には大官大寺(大安寺)、元興寺、薬師寺とともに四大寺の一つに数えられた名刹。南円堂は西国三十三所第9番札所で、多くの巡礼の人の姿を見かけます。世界遺産「古都奈

よく読まれている記事

こちらもどうぞ