後醍醐天皇導稲荷

後醍醐天皇導稲荷

奈良県吉野郡吉野町、金峯山寺蔵王堂の近くに鎮座するのが、後醍醐天皇導稲荷(こだいごてんのうみちびきいなり)。建武の新政に失敗し、花山院に幽閉されていた後醍醐天皇が京を脱出し、吉野山に逃れる際、道に迷った後醍醐天皇を伏見の神仏が導いたとされ、その稲荷神を勧請。まさに後醍醐天皇ゆかりの社です。

後醍醐天皇を吉野山に導いた稲荷神を祀る

足利尊氏(あしかがたかうじ)が京に幕府を開き、光明天皇を新天皇に擁立した延元元年(1336年)。
密かに京の花山院を抜け出した後醍醐天皇が、吉野への途中夜道で迷った際に、とある稲荷の前で「むば玉の暗き闇路に迷うなり我に貸さなむ三つのともし灯」と歌を詠むと、突如として紅い雲が現れ、吉野への臨幸の道を照らし導きました。
「三つのともし灯」とは、伏見稲荷大社の祀られる伊奈利山(稲荷山)の3つの峯を指すといわれ、伏見の神仏が吉野に導いたとされるのです。
伏見稲荷大社は今でこそ神社ですが、明治初年の神仏分離までは、神仏習合で真言密教とも密接な関係がありました。

後醍醐天皇導稲荷があることから、すぐ近くの「やっこ」(大正元年創業)では、名物の柿の葉寿司のほか、いなり寿司も用意されています。
近くには菅原道真を祀る古社、威徳天満宮もあるのであわせて参拝を。

後醍醐天皇導稲荷
名称 後醍醐天皇導稲荷/こだいごてんのうみちびきいなり
所在地 奈良県吉野郡吉野町吉野山2498金峯山寺境内
電車・バスで 近鉄吉野線吉野駅から徒歩40分。または、ロープウェイ吉野山駅から徒歩10分
ドライブで 西名阪自動車道郡山ICから約34km
駐車場 下千本駐車場(100台/観桜期は有料)
問い合わせ 金峯山寺 TEL:0746−32−8371/FAX:0746−32−4563
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
威徳天満宮

威徳天満宮

奈良県吉野郡吉野町、吉野山の金峯山寺蔵王堂のすぐ横に鎮座する古社が、威徳天満宮。社伝によれば、天徳3年(959年)の創建とも、天慶年中(938年~947年)、如意輪寺を創建した日蔵道賢(にちぞうどうけん)が勧請したともいわれる古社。蔵王堂横

四本桜(大塔宮吉野城本陣跡)

四本桜(大塔宮吉野城本陣跡)

奈良県吉野郡吉野町、吉野山の金峯山寺蔵王堂の前の玉垣に囲まれた一画は、鎌倉幕府倒幕の元弘の乱で大塔宮(おおとうのみや=護良親王・もりよししんのう/後醍醐天皇の皇子)が蔵王堂を本陣として山上の城塞化を押し進めた吉野城本陣の跡。大塔宮(護良親王

二天門跡(村上義光公忠死之碑)

二天門跡(村上義光公忠死之碑)

奈良県吉野郡吉野町、吉野山の金峯山寺蔵王堂の前にあるのが、二天門跡(村上義光公忠死之碑)。北条方(鎌倉幕府軍)の攻撃で、吉野城落城の際、村上義光(むらかみよしてる)が大塔宮(おおとうのみや=護良親王・もりよししんのう/後醍醐天皇の皇子)の鎧

吉野朝宮跡(実城寺跡)

吉野朝宮跡(実城寺跡)

奈良県吉野郡吉野町、吉野山の金峯山寺蔵王堂の西側、現在は南朝妙法殿が建っている場所が、南北朝時代に南朝4代の天皇(後醍醐天皇・後村上天皇・長慶天皇・後亀山天皇)の皇居があった吉野朝宮跡(実城寺跡)。建武の新政に失敗した後醍醐天皇が吉野山に開

金峯山寺・役行者像

金峯山寺・役行者像

奈良県吉野郡吉野町、吉野山の中心、金峯山寺・蔵王堂の西、南北朝時代に南朝の皇居があった南朝妙法殿は、脳天大神龍王院からの石段が上がってくる場所。その石段455段を上りきった場所に立つのが大峯山を開いた修験道の開祖・役行者像(えんのぎょうじゃ

やっこ

やっこ

奈良県吉野郡吉野町、吉野山・中千本の蔵王堂階段下にある柿の葉寿司の店が、やっこ。大正時代創業という老舗で、創業時からの手作りを頑なに守り、柿の葉寿司の味わいも昔のまま。鯖と鮭の2種で、店内にある食事コーナーで味わうこともできます。蔵王堂前の

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ