興福寺・三重塔

興福寺の三重塔は、1143(康治2)年、崇徳天皇(すとくてんのう)の中宮・藤原聖子(ふじわらのきよこ=皇嘉門院聖子/こうかもんいんせいこ)が創建し、1180(治承4)年、平重衡の兵火で焼失後、間もなく再建されたもので、北円堂とともに興福寺で最古の建物。国宝に指定されています。

平安時代創建の三重塔が現存

藤原聖子は、1141(永治元)年に皇太后となっているので、出家する以前、皇太后時代の創建。

初層内部の四天柱(してんばしら=堂の周囲の4本の柱)を☓状に結ぶ板には、東方に薬師如来像、南に釈迦如来像、西に阿弥陀如来像、北に弥勒如来像、それぞれ1000体が描かれています。

興福寺は「古都奈良の文化財」として世界遺産に登録。

興福寺・三重塔
名称興福寺・三重塔/こうふくじ・さんじゅうのとう
Sanjyu-no-to(Three-Storied Pagoda),Koufukuji
所在地奈良県奈良市登大路町48
関連HP興福寺公式ホームページ
電車・バスでJR奈良駅から奈良交通バス市内循環で5分、県庁前下車すぐ。近鉄奈良線奈良駅の東改札口からすぐ
ドライブで京奈和自動車道木津ICから約6.4km
駐車場興福寺駐車場(46台/有料)
問い合わせ興福寺寺務所 TEL:0742-22-7755
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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