角田岬灯台

日本海に臨む標高482mの角田山から派生する尾根の末端、角田岬に建つ白亜の灯台が角田岬灯台。灯高は12.57m。海面から塔火部分までは49.69mもあります。角田浜駐車場から人道トンネルを抜け崖伝いに階段を登ると灯台に到達。

角田浜の南に建つ灯台

角田岬から北へ、村上市へと続く全長70kmの長大な砂丘が新潟砂丘です(厳密な意味での砂丘ではなく、海岸沿いに分布する砂層の地形的高まり)。
角田岬から南側は、山地が海岸線まで迫った風光明媚な越後七浦シーサイドラインとなります。

昭和34年に初点灯の角田岬灯台は、観覧灯台ではないので内部に入ることはできませんが(海の日などのイベント時のみ公開)灯台周辺からは北に角田浜、南に越後七浦シーサイドライン、晴れていれば海上に佐渡島を眺望。

当初は角田埼灯台と呼ばれていましたが、昭和42年に角田岬灯台と改称されています。
夕日の名所にもなっていますが、眺めていると帰路、足下が暗くなって駐車場まで大変なことに。

角田岬・越後七浦空撮 Photo Map

「判官舟かくし」と義経の越後通過伝説

夏は海水浴で賑わう角田浜人道トンネルを抜けたところの海岸には奥州・平泉に逃げる途中、判官(源義経)が身を隠したという伝承の「判官舟かくし」と呼ばれる海蝕洞もあるのでお見逃しなく。
1187(文治3)年3月、源義経が兄である頼朝の追討を受け、奥州・平泉に海路落ちのがれる際、追手を避けて舟とともに身をかくしたと伝わる洞穴です。
洞穴は奥行28m、幅4~5mの大洞穴、奥行14m、幅2mの小洞穴があり、新潟市文化財に指定されています。
大洞穴なら海面から天井まで入口で6m以上あって、たしかに船が隠せそうです。
ただし『吾妻鏡』にも文治3年2月10日の項に「伊勢・美濃等の国を経て奥州に赴く」と記されるだけで、越後通過には触れられていません。
寺泊から海岸沿いに鼠ヶ関(ねずがせき)とする通説は、実は後世(南北朝時代から室町時代初期)に記された軍記物『義経記』に記された「物語としての推測ルート」にすぎません。
長岡市栃堀には義経を追って平泉を目指し越後で命が尽きたという「静御前の墓」も残されています。
実は、静御前終焉の地も全国各地にあり、定かでありません。

「判官舟かくし」のある入江を眼下に
角田岬灯台
名称角田岬灯台/かくだみさきとうだい
所在地新潟県新潟市西蒲区角田浜
関連HP新潟市公式ホームページ
ドライブで北陸自動車道巻潟東ICから約17.7km
駐車場角田浜駐車場/無料
問い合わせ新潟海上保安部 TEL:025-244-1008
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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