金城町の石畳道

金城町の石畳道

沖縄県那覇市、首里城下にある金城町(きんじょうちょう)は、琉球王朝時代には、士族たちが住む城下町だった場所。尚真王(しょうしんおう/在位1477年〜1527年)の時代に、首里王府が首里城から南部の国場川の真玉橋に至る主要道路として、総延長4kmの真珠道(まだまみち)が整備しましたが、その一部が金城町の石畳道です。

中世に造られた石畳道が現存!

当初は首里から識名坂(しきなひら)を経て真玉橋(まだんばし)までの4kmの間に石畳が敷設されましたが、1553年には石火矢橋(いしひやばし)を経て那覇湊(なーふぁみなと=現・那覇市住吉町)まで延長。
この延長で総距離は8kmとなり、すべてに石畳が敷かれていました。
真珠道は沖縄戦で大きな被害を受け、現在残っているのは、238mが現存する金城町石畳道のみとなっています。

那覇湊まで延長されたのは、当時、倭寇(わこう)と呼ばれた海賊対策から。
首里王府の軍隊を迅速に湊まで移動させるのには、現在の舗装道路のような石畳が必要だったのです。

石畳には琉球石灰岩が用いられ、石の表面に刻みをつけて滑らない配慮がなされていますが、現在ではかなり磨り減ってしまっています。

平成13年放送のNHKの朝の連続テレビ小説『ちゅらさん』(主演:国仲涼子)にも登場した坂道で、「日本の道100選」にも選定。
沿道の民家が主人公・上村(古波蔵)恵里(ちゅらさん)の自宅という設定で外観が使われています。

ちなみに、真珠道の王府側の起点は、守礼門の南東側にあった「真珠湊之碑」(まだまみなとのひ)と「国王頌徳碑」(こくおうしょうとくひ)の間に設置された通路・石門(いしじょー)です。
起点周辺は、現在はアスファルト舗装で石畳を見ることができません。

取材・画像協力/沖縄観光コンベンションビューロー

金城町の石畳道
名称金城町の石畳道/きんじょうちょうのいしだたみみち
所在地沖縄県那覇市首里金城町
電車・バスでゆいレール首里駅から徒歩12分
ドライブで沖縄自動車道那覇ICから約2.2kmで首里杜館駐車場
駐車場首里杜館地下駐車場(有料)を利用
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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