普天間街道 当山の石畳道

当山の石畳道

琉球王国の王城である首里城から浦添間切番所(間切=琉球王国の行政区分)を通って宜野湾間切番所に通じる古道が普天間街道。当山公民館から浦添城跡へと続く部分に現存するのが当山の石畳道(とうやまのいしだたみみち)です。当初、街道沿いには松が植えられていました。

普天間街道の石畳は国の史跡に

尚賢王が普天満宮(琉球八社にひとつで、本殿は鍾乳洞の中に設置)を初めて参詣した1644年から、参道として整備され、その後、普天満宮参拝は琉球王府の年中祭祀に準じて王族や士族たちのあいだに定着しています。
尚寧王((しょうねいおう)の時代(在位1589年~1620年)には、首里から浦添城下に通じる道路の大改修工事が行なわれ、首里城から浦添城まではすべて石畳の道となりました。

石畳の道が修復保存されているのは200mほどで、牧港川を当山橋で渡り、馬ドゥケーラシ(馬転ばし)と呼ばれるほどの急坂が続き、交通の難所として知られていた場所。
美しいアーチ型の石橋「当山橋」は、大正時代に修築されています。

琉球王朝時代、沖縄は、間切と呼ばれる行政区域で区分され、各間切には番所が設置されていました。
首里城と番所は宿道(すくみち)で結ばれ、宿次(しゅくつぎ)と呼ばれる早馬便が存在し、年貢などの物資が運ばれたのです。

当山の石畳道には車はもちろん進入できないので、浦添大公園駐車場に車を入れて散策するのがおすすめです。

取材・画像協力/沖縄観光コンベンションビューロー

普天間街道 当山の石畳道
名称普天間街道 当山の石畳道/ふてんまかいどう とうやまのいしだたみみち
所在地沖縄県浦添市当山1-20地先
ドライブで沖縄自動車道西原ICから約3.2km
駐車場浦添城駐車場(20台/無料)を利用
問い合わせ浦添市文化財課 TEL:098-876-1234
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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浦添城

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