勘定場の坂

勘定場の坂

大分県杵築市(きつきし)、城下町・杵築を象徴する坂道のひとつで、坂の下に杵築藩の勘定場が置かれていたことがその名の由来です。石段の幅が広く、勾配も比較的緩やかなのは、当時武家の移動手段だった馬、横向きに上った籠かきの歩幅にあわせて造られていたから。その点にも注目を。

駕龍かきの足に合わせて造られた石段の幅にも注目を

勘定場の坂

勘定場とは、藩財政を支える収税や金銭出納の役所。
勘定場の坂を上った高台には、藩校「学習館」(「藩校の門」のみ現存)をはじめ、家老屋敷の「大原邸」、幕末に建てられた藩主の屋敷「能見邸」、藩主の休息所となっていた「楽寿亭」の一部だった「磯矢邸」など、比較的身分の高い武士(上級武士)の屋敷街「北台武家屋敷」があります。

18世紀末の作成の『杵築城図(金子絵図)』には、坂下の藩主の居住した御殿(現・杵築神社の東側)から続く勘定場の坂の上には、家老丁に筆頭家老の中根斎(現・大原邸)や岡藤助(現・能見邸)などが大きな屋敷を構え、榎並喜左衛門(現・磯矢邸)、加藤助左衛門(天明8年以降「藩校学習館」)など家老を務めた経験のある350石取以上の上級武士らの屋敷が描かれています。

53段の石段は、江戸時代後期に姫島から取り寄せた石を使っています。
北台武家屋敷側から杵築城に向かって下り、24段目の石畳の中に「富士山」形の石が配されていますが、「西(24)の富士」と呼ばれるもので、1段下には、湖に映る逆さ富士の模様が隠し絵のように入っているのです。
石段に秘められた富士山とともに、独特の風情を醸し出し、坂の上からは杵築城を望むことができます。

一帯は、国の重伝建、杵築市北台南台伝統的建造物群保存地区に選定。

勘定場の坂
24段目の石畳の中に「富士山」形の石が!
勘定場の坂
勘定場の坂
名称 勘定場の坂/かんじょうばのさか
所在地 大分県杵築市杵築
関連HP 杵築市観光協会公式ホームページ
ドライブで 大分空港道路杵築ICから約3.3kmで観光客用駐車場
駐車場 観光客用駐車場を利用
問い合わせ 杵築市観光協会 TEL:0978-63-0100
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
酢屋の坂

酢屋の坂

大分県杵築市、城下町・杵築の北台武家屋敷から商人の町・谷町へと通じる、杵築随一のロケーションを誇る坂道が、酢屋の坂。そのフォトジェニックな風景は、映画やドラマの舞台にも使われてきました。坂の下にかつて酢屋があったのが名の由来です。武家屋敷と

志保屋の坂(塩屋の坂)

志保屋の坂(塩屋の坂)

大分県杵築市、城下町・杵築の南台武家屋敷(中根邸などがあります)から商人の町・谷町へと通じる坂道が志保屋の坂(塩屋の坂)。谷町通りを挟んで向かい合う反対側の坂が有名な酢屋の坂で、実は志保屋の坂(塩屋の坂)から酢屋の坂を眺めるのが、杵築を代表

番所の坂

番所の坂

大分県杵築市、城下町・杵築(杵築市北台南台伝統的建造物群保存地区)の風情ある坂道のひとつが、番所の坂。杵築城下にあった6ヶ所の番所のひとつ、北浜口番所があったことが坂の名の由来です。番所には番人が常駐し、夜間には大戸を閉めて通行ができなくな

飴屋の坂

飴屋の坂

大分県杵築市、城下町・杵築(杵築市北台南台伝統的建造物群保存地区)の風情ある坂道のひとつが、飴屋の坂。美しく屈曲するので、被写体としても絶好。白っぽい石畳は、雨降りの夜に白く浮かび上がり、雨夜が飴屋に転訛したという説もあります。屈曲する坂道

大原邸

大原邸

大分県杵築市(きつきし)、城下町・杵築で家老職など上級武士の北台武家屋敷を代表する邸宅が、大原邸。もとは杵築藩筆頭家老の中根斎の邸宅、御用屋敷で、江戸末期には石高200石の用人、大原文蔵の邸宅となった建物。杵築市北台南台伝統的建造物群保存地

磯矢邸

磯矢邸

大分県杵築市(きつきし)、杵築城下町の北台武家屋敷にあり、もとは江戸時代後期、藩主の休息所・御用屋敷「楽寿亭」の一部だったという武家屋敷。明治時代には200石の武士、加藤与五右衛門の邸宅として使われ、明治時代には増改築も行なわれています。現

北台武家屋敷・藩校学習館跡

北台武家屋敷・藩校学習館跡

大分県杵築市、城下町・杵築の家老などの邸が並んでいた北台武家屋敷にある杵築藩の藩校「学習館」の跡が、北台武家屋敷・藩校学習館跡。藩政改革を推進した、杵築藩7代藩主・松平親賢(まつだいらちかかた)が、天明8年(1788年)に開いたのが、藩校「

北台武家屋敷跡(杵築市北台南台伝統的建造物群保存地区)

北台武家屋敷跡(杵築市北台南台伝統的建造物群保存地区)

大分県杵築市、杵築城の西の高台に位置する、北台武家屋敷跡。杵築藩の上級武士が暮らした武家屋敷街で、杵築市北台南台伝統的建造物群保存地区にも選定されています。海蝕崖で囲まれた南北の台地は武家地、台地を囲む低地は町人地という「サンドイッチ型城下

能見邸

能見邸

大分県杵築市、城下町・杵築の家老などの邸が並んでいた北台武家屋敷にある幕末期のものと推測される武家屋敷の遺構が、能見邸。玄関の間、上段の間を有する格式ある上級武士の邸宅で、庭や建物の様式美など、見ごたえのある武家屋敷です。喫茶、土産品の販売

佐野家

佐野家

大分県杵築市、城下町・杵築で代々医家を務めた佐野家。共通観覧券対応施設のひとつで、杵築市役所にほど近い、坂周辺に家が一軒しかなかったという、ひとつ屋の坂と、紺屋(染物屋)が並んでいたという紺屋町の坂を上った、北台の一画に建っています。主屋は

杵築城

杵築城

大分県杵築市、江戸時代には杵築藩(きつきはん)の藩庁だったのが、杵築城。杵築市街地の東端、北は高山川、東は守江湾に臨む標高30mの台山の上に築かれた連郭式平山城。室町時代初期に、木付城として大友一族と木村頼直によって築城され、戦国時代には大

城下町杵築観月祭

城下町杵築観月祭|2024

2024年10月19日(土)18:00〜21:00、大分県杵築市(きつきし)の杵築城下町一帯で『城下町杵築観月祭』を開催。武家屋敷を巡る石畳の坂道に、8000本の行燈(あんどん)や竹灯篭を配し、武家屋敷では、篠笛の演奏やお茶会などが行なわれ

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ