ウトロ漁協婦人部食堂
ウトロ港にあるカウンター席のみ20席の素朴な食堂。もともとは昭和40年頃、イカ漁で本州から遠く知床まで遠征する漁師向けに飲食を提供し、日用雑貨を置いたのが始まり。以前は地元の人、釣り人の利用が多かったのですが最近では口コ…
ウトロ港にあるカウンター席のみ20席の素朴な食堂。もともとは昭和40年頃、イカ漁で本州から遠く知床まで遠征する漁師向けに飲食を提供し、日用雑貨を置いたのが始まり。以前は地元の人、釣り人の利用が多かったのですが最近では口コ…
斜里市街からウトロへ向かう途中、国道334号沿いにあるのがオンネベツ川鮭鱒観覧施設。知床連山からオホーツク海に流れ出すオンネベツ川は通年、本支流ともに保護水面になっていて釣りは厳禁。加えて5月〜8月には河口から500m以…
新酪農村(パイロットファーム)とは、欧米型の大規模な酪農スタイルを目指し、昭和48年から始まった国家的プロジェクトのこと。1戸あたり50haという広大な草地に牛60頭ほどを飼育するというスタイル。そんなパイロットファーム…
国道244号と243号の合流点近くにある史跡。奥行臼(おくゆきうす)という地名は、アイヌ語のウコイキ・ウスで戦闘のあった場所という意味、つまり根室ポロモシリのアイヌと厚岸のアイヌが戦闘した場所。そんな場所に開拓時代に造ら…
道東地区での鮭(シロザケ)の川での捕獲は禁止されていますが、日本で初めて鮭を川で釣ることができるようになったのが忠類川。釣り人は「忠類川サケ・マス有効利用釣獲調査」に参加するというスタイルでのみ、限定的に鮭釣りが認められ…
ポー川史跡自然公園の公園入口エリア、標津湿原(しべつしつげん)への木道の入口に位置する博物館。伊茶仁カリカリウス遺跡の解説では、オホーツク文化人の末裔にあたる、トビニタイ文化の土器などが興味深い展示となっています。展示さ…
人の数より牛が多いという別海町。そこで搾乳されるミルクはかつては全部本州方面に送られていましたが、別海町が発奮し、第三セクター「べつかい乳業興社」を立ち上げて昭和48年に「別海牛乳」を製造。今では牛乳だけでなく、「べつか…
標津町の市街地背後の小高い丘は、望ヶ丘公園として整備されていますが、実は一帯はアイヌのチャシ(砦)跡。公園の下に茶志骨(ちゃしこつ)という字名(あざめい)がありますが、アイヌ語のチャシ・コツ(chasi-kot=城・砦跡…
野付漁協の直売所で、野付湾観光船が出航する尾岱沼港に建っています。国道244号の信号から少し尾岱沼港側に入ったところにあるのでドライブ途中だと見逃しがちですが、海産物を土産にするなら寄り道をオススメ。ホタテ、北海シマエビ…
羅臼漁協と鮭の水揚げ高日本一を競う標津漁業協同組合の直売所で、標津市街を走る国道244号沿い、標津漁港近くにあります。鮭やイクラはもちろん、根室海峡で揚がるホタテ、羅臼産のタラコなども扱っています。
浜中町から根室市に至る道道142号(北太平洋シーサイドライン)の途中にある展望駐車公園が羨古丹駐車公園(うらやこたんちゅうしゃこうえん)。北太平洋シーサイドラインは、観光客の少ない秘境ムードたっぷりのドライブルート。羨古…
ウトロ港から知床五湖方面へ海岸沿いの国道を走ると、幌別橋で幌別川を渡った先で展望駐車公園があります。これがプユニ岬。標高90m、ウトロ港を眼下に、網走方面への海岸線、さらに快晴の日には遠く阿寒国立公園の山々とワイドなパノ…
北国、港町、霧と演歌調のヒット曲の三要素が揃う釧路。『柳ヶ瀬ブルース』(昭和38年)、『新潟ブルース』(昭和42年)と並ぶ、美川憲一のご当地ソングシリーズの『釧路の夜』は、昭和43年のヒットソング。幣舞橋たもとのぬさまい…
明治22年に北海道随一という長い木橋が架けられたのが釧路川の河口部に架かる幣舞橋(ぬさまいばし)の始まり。当時は有料で「愛北橋」と呼ばれていました。その後、明治33年、国によって初代の幣舞橋が架橋され、今では旧釧路川に架…
北海道遺産、さらには準鉄道記念物に登録の「旧国鉄士幌線コンクリートアーチ橋梁群」。第五音更川橋梁(だいごおとふけがわきょうりょう)は、国の登録有形文化財に指定の全長109mという長大なアーチ橋です。「旧国鉄士幌線コンクリ…
上士幌市街から国道273号(糠平国道)をぬかびら源泉郷・糠平湖方面に走ると泉翠峡、元小屋ダム湖という景勝地があります。この峡谷に架かる全長71mのアーチ橋が第三音更川橋梁(だいさんおとふけがわきょうりょう)。旧国鉄士幌線…
旧国鉄士幌線のタウシュベツ川橋梁は、糠平湖の東岸にあり、東岸を走る林道は地元の営林署に入林許可が必要となるため(あるいは地元NPOのツアーに参加して散策するのが一般的)、簡単にはアプローチできません。そのため、糠平湖の西…
糠平湖(ぬかびらこ)の湖畔にコンクリート製の大きなメガネ橋があります。このタウシュベツ川橋梁は、帯広から十勝三股間を結んでいた士幌線(しほろせん)の廃線跡(昭和62年に全線廃止)。現在も糠平湖周辺に数多くの橋梁が残ってお…