小川さんのルーツを探せ!

小川さんは典型的な地名姓で、地名を負う小川姓もまた、古くからそこここにあったと推測できます。そんな全国に散らばるだろう小川さんは大姓29位(国民の0.33%)、全国に42万人のお仲間が暮らしています。「川仲間」でいえば石川さん(27位)と同じくらいで、大川さん(272位)を圧倒しています。

小川さんのルーツは東京都あきる野市に

武蔵国多摩郡小川郷(東京都あきる野市小川)には、古代、優良な馬を産する官営牧場の「小川牧」(おがわのまき)がありました。
坂東(ばんどう=関東地方)の馬は軍馬として大変重宝され、ここで飼育された馬は毎年京の朝廷に貢納されていたのです。
そんな牧の管理者は次第に勢力を蓄え、やがて武蔵の武士団へと成長していきます。

美濃国(三野国=現在の岐阜県南部)片県郡(かたかたのこおり)に古代の市のひとつ「少川市」(おがわのいち)が行なわれていました。
どこで開かれていたのかは定かではなく、岐阜市合渡(ごうど)の一日市場(ひといちば)、あるいは岐阜市黒野の古市場と推測されています。

さらに、山城には継体天皇の後裔、酒人・小川眞人(おがわのまひと)、丹波には百済系氏族の小川造(おがわのみやつこ)の名が見えます。
小川眞人は、現在の長野県上水内郡小川村に小川神社を創建し、近江国(滋賀県)にその名を残しています。

小川さんのルーツは古代に遡る場合が多いことはこれでおわかりかと。
ちょっと寄り道しましたが、小川牧を管理していた小川氏に話を戻します。

武蔵七党・日奉姓(ひまつりせい)西党の一員・小川氏(小川氏の系譜は小川宗弘に始まります)は、やがて発祥地の近隣に土着化していきますが、源平合戦の宇治川の戦いの戦功で小川小太郎季能(すえよし)は薩摩国甑島(こしきしま)郡(現在の鹿児島県薩摩郡の一部)に所領を与えられ、地頭・島主となって移り住みます(鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』などによる)。

東京都あきる野市小川の宝清寺(ほうせいじ)に小川土佐守の小川城跡がありますが、遺構らしきものは何も残っていません。
実は、小川氏は、武蔵国多摩郡出身の小御家人としては『吾妻鏡』に記されるほどの大活躍をしていますが、「それにも関わらず、地元には関係史料が残らず、小川氏の居住地・居館等についても見当がつかず、伝承すら採集できない現状」(あきる野市)とのことで、鎌倉時代末まで本領小川郷に小川氏が存続したことは確かなのですが、その後の動静は不明瞭になっているのです。

そして、鎌倉時代に薩摩へ下向し、地頭として甑島に渡った小川氏の流れだけが鹿児島県に史料が残ることに。

甑島に名を残す小川さん

上甑島・亀城跡
上甑島・亀城跡にある展望台から里港方面を眺望

関東では足跡が途絶える小川氏ですが、遠く離れた甑島では歴史に名を残しています。

一族の小川氏が関東・足利に属し勢力のあった頃、同系の小川氏は上・中・下甑島全島を領有。
鹿児島県薩摩川内市里町城山には承久の乱で功績を挙げた小川季直(おがわすえなお)が築城した亀城跡(かめじょうあと)があり、公園化されてベンチ、東屋などが配されています。

上甑島に小川氏が築いた亀城(鹿児島県薩摩川内市里町城山)は、里小学校西側部分。
ここから南方200mの丘にある鶴城跡と合わせて「鶴亀城」と呼ばれて、なんとも縁起の良い存在ですが、残念ながら遺構は残されず、往時からの土塁がどれなのかは判然としません。

里集落を望む展望所もあるので、上甑島に訪れることがある小川さんなら、ぜひ訪ねたい場所です。
里港からなら徒歩10分ほどで到達できます。

小川さんはアルプスが見える絶景の地にもルーツが!

小川村
小川村から北アルプス・後立山連峰を眺望

そのほかの流れとしては、信濃国水内(みのち)郡小川(長野県上水内郡小川村)発祥の藤原南家工藤氏の流れが、近江国神崎郡小川(滋賀県東近江市小川)に移って小川氏を名乗り、そこから羽柴秀吉(豊臣秀吉)の家臣・小川祐忠(おがわすけただ)が生まれています。

長野県上水内郡小川村の小川村役場は小川小学校と小川中学校に挟まれ、小川村役場から西へ1.5kmほどの小根山に御柱祭が行なわれる小川神社も鎮座し、まさに小川さんのルーツらしい場所。

また小川村役場から北西へ7kmほどの瀬戸川には奥宮と推測できる小川神社が鎮座。
延喜式神名帳に記載の古社(式内社)で、貴重な小川さんのルーツのひとつです。

また瀬戸川には「本州の重心」と称するパワースポットもあるのでお見逃しなく。
小川村といえば縄文おやきで有名な「小川の庄」。
小川さんなら一度は味わいたい郷土の味です。

北アルプスの絶景でも知られる小川村、美しい小川村を流れる小川がルーツというのも素敵!

滋賀県東近江市にも明確なルーツが

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八宮赤山神社境内にある浸水位之標

羽柴秀吉(豊臣秀吉)に仕えた小川祐忠は、小牧・長久手の戦いなどに参加、朝鮮の役でも浅野長政を救援する功を立て、慶長3年(1598年)、伊予今治7万石を与えられ、国分城(今治市古国分)の城主となるまで出世しています。

関ヶ原の戦いでは当初西軍に与していましたが、小早川秀秋の寝返りに呼応して東軍に寝返り武功をあげてもいます。
しがし、その後、石田三成と昵懇であったことを徳川家康が嫌ったためなどの理由で、改易されてしまいます。

小川祐忠の子・小川祐滋(おがわすけしげ)は、京に出て萬屋の屋号を用い両替商となり成功を収め、寛文年間以降は陣屋を預けられるほどの豪商に。
京都市中京区大宮通御池下ルにある重要文化財の二條陣屋が、かつての萬屋という両替商の跡地です。

この小川一族は、近江国神崎郡小川(滋賀県東近江市小川)に土着して小川氏を称した小川左京進がルーツで、滋賀県東近江市小川にある八宮赤山神社は小川一族の氏神が土地の産土神となったもの。

神社の境内には明治29年の洪水で琵琶湖の水位が上がり、冠水した時の水位を示した石碑が立っています。
ここも重要な小川さんのルーツということに。

全国各地にある小川さんのルーツ

尾張国知多郡小川(愛知県知多郡東浦町緒川小川一区)を発祥とする小川氏は清和源氏浦野氏族で、源満政の後裔である源(浦野)重遠の子・重房が小河三郎を称したのに始まるとのこと。
この尾張源氏小河(小川)氏から徳川の大名・水野氏が出ています。
愛知県知多郡東浦町緒川には小川城跡もあり、小川さんのルーツのひとつに。

ほかにも、常陸国久慈郡小川(茨城県久慈郡大子町)の佐竹氏族、常陸国常陸郡小川の藤原秀郷流下河辺氏族、常陸国新治郡小川の結城氏族、上野国利根郡小川(群馬県利根郡みなかみ町小川)の沼田氏族、大和国吉野郡小川(奈良県吉野郡東吉野村小川)の藤原北家菊亭流小川氏族、播磨国飾磨郡小川の赤松氏族、筑後国竹野郡小川の後藤氏族、豊後の大友氏族、備後尾道や安芸加茂郡、駿河国益頭郡(ここを出自とする流れは「こがわ」)にも有力な小川氏が出ています。

静岡県焼津市西小川5丁目にある小川城跡。
こちらも小川と書いて「こがわ」、つまりは「こがわじょう」となります。

小川城跡としては、千葉県山武市の上総国小川城 、群馬県みなかみ町と月夜野町の沼田氏族の小川城、静岡県焼津市の駿河国小川城 、長野県上水内郡小川村の信濃国小川城と古山神社、滋賀県甲賀市の近江国信楽小川城など、全国に散らり、「小川が流れるところ、小川さんあり」といった感じに。

全国に42万人と推測される小川さんですが、有名人の出身に傾向を探ってみましょう。
『小川宏ショー』で一世を風靡した小川宏(おがわひろし)は、東京府南葛飾郡寺島村(現・東京都墨田区東向島)生まれ。
女ねずみ小僧シリーズで人気を博し、大河ドラマ『葵 徳川三代』で淀君役を務めた小川眞由美も東京出身。
女優の小川知子は広島県、小川菜摘は東京生まれ。

小川さんの分布は、南関東(千葉県で大姓16位)と山陽地方(広島県で19位)に多く福岡と兵庫に小河姓が散見できます。
突出する県はないので、全国にまんべんなく広がるのが小川さんらしいところ。

家紋は、武蔵の西党系が、上り藤に桔梗、小の字菱、亀甲に花角。
尾張源氏系は十六葉裏菊に、五七桐、水野沢瀉(おもだか)。
ほかの小川さんは、梅鉢、松皮菱、木瓜、二つ引両、違い鷹の羽など。
家紋からご自身のルーツを探る手がかりが得られるかもしれません。

取材・編集協力/札場靖人(家紋と姓名研究家)
人口に関するデータは明治安田生命全国同姓調査による(2018年7月)推計値です

小川さんのルーツを探せ!
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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