田村さんのルーツを探せ!

大姓52位の田村さんは全国に29万人ほどが暮らし、シェアは0.23%ほど。田村という苗字は、田んぼが広がる村といういかにも日本的な意味で、全国各地にルーツがあります。田と村を逆さにした村田さんは大姓77位(0.17%)なので、村の田んぼよりも優勢という結果に。

まずは滝桜で有名な福島県三春町へ

田村氏の菩提寺である福聚寺の見事な桜

最初に登場願うのは、天平宝字2年(758年)に生まれ、桓武天皇(かんむてんのう)の軍事を支えた坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)。

坂上田村麻呂というと、坂上が名前か、田村が名前なのかと思う人もいるかも知れません。
平安時代の武官、坂上田村麻呂は、歴とした田村さんのルーツのひとりなのです。

延暦15年1月25日(796年3月9日)、田村麻呂は陸奥出羽按察使兼陸奥守に任命され、延暦20年2月14日(801年3月31日)、平安京から東北へと遠征、蝦夷(えみし=統一国家の支配に抵抗した東北の人々)の本拠地であった胆沢郡(いさわぐん/現・岩手県奥州市)を奪取したことによって征夷の英雄となったのです。
延暦21年(802年)には胆沢城(いさわじょう・いさわのき/現・岩手県奥州市)を築城し、東北制定の拠点としています。

この坂上田村麻呂の後裔(こうえい)が磐城国田村郡(現・福島県田村郡)を発祥とする坂上族の田村氏で、以下連綿と田村郡を領してきたとされています。

しかし、どうやら戦国時代に田村地方を領した三春の田村氏は平姓(平家)を称していたようで、いつのまにか系列が違う田村氏と入れ替わっていたようなのです。
ともあれ、代表的な田村氏のルーツである福島県三春に出かけてみましょう。

福島県田村郡三春町大町の三春城(みはるじょう)は、三春町のほぼ中心にある、標高407mの大志多山にあり、現在は城山公園として整備され、桜の名所となっています。
遊歩道で登城する本丸は急斜面をなす山頂にあり、土、塁や石垣の一部などが現存。

本丸からは三春城下町や遠く吾妻・阿武隈・安達太良の山並みを見渡すことができます。

永正元年(1504年)、戦国大名・田村義顕(たむらよしあき)は三春郷に三春城を築いて移り住み、領内には俗に「田村四十八館」と呼ばれる支城や出城を構え要衝に一族一門を配しています。

やがて、豊臣秀吉の「奥州仕置」で田村氏は改易・断絶となっていますが、伊達政宗(だてまさむね)の正室(愛姫)が田村清顕(たむらきよあき)の娘、つまりは田村家から出たこともあって、藩政時代には仙台藩・伊達家の分家大名として再興されています。

田村清顕は、坂上田村麻呂の子孫を自称していましたが、田村清顕も英明な武将として知られていました。
娘を伊達政宗に嫁がせたのは佐竹氏や蘆名氏に対抗するためで、そうして田村家を戦国乱世から守り抜いたのです。
その裔は、江戸城・松の廊下で刃傷事件を起こして切腹することになった元禄赤穂事件・浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)を預かったことで知られる一関藩主・田村建顕(たむらたつあき)。
一関藩邸の庭で浅野長矩の切腹が執行されています。

そんな波乱万丈の三春城主・田村氏の菩提寺が、臨済宗・福聚寺。
八丁目(現・郡山市日和田)にあった寺が、田村氏の三春移城の際に三春に移ったと伝えられ、田村氏三代の墓があります。

春には桜が美しく、田村氏の崇敬社で旧三春藩領内総鎮守・大元帥明王(田村大元神社)の仁王門は実に見事です。

三春城

三春城

福島県田村郡三春町(みはるまち)、藩政時代に三春藩の藩庁があったのが三春城。現存する城郭は、寛永5年(1628年)、松下長綱(まつしたながつな=二本松藩初代藩主・松下重綱の長男)が藩主になった時代に改修したもの。続日本100名城にも選定され

福聚寺(福聚寺のしだれ桜)

福聚寺(福聚寺のしだれ桜)

福島県三春町字御免町の臨済宗妙心寺派・福聚寺(ふくじゅうじ)境内に咲く桜が「福聚寺のしだれ桜」。福聚寺境内にはソメイヨシノのほかに樹齢470年と樹齢250年の2本のエドヒガン系ベニシダレザクラの巨樹があり、桜の見頃は、例年4月中旬〜下旬頃。

清水寺は田村さんのパワースポット

清水寺
清水寺

さてさて、伝説的な人物となった坂上田村麻呂ですが、その生誕地は定かではなく、一説には平城京田村里(奈良市尼辻町付近)に比定されています。

平城京左京四条二坊の東半部には奈良時代の公卿・藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)の邸宅「田村第」(たむらてい)があったとされ、現在の奈良市四条大路1丁目では発掘調査が行なわれています。
残念ながら四条大路1丁目界隈には田村さんのルーツらしき遺跡や神社などは存在しません。

ほかの田村氏としては、古くは山城国葛野郡田村(田邑)を発祥とする田村臣(たむらおみ)や大和国添上郡の田村村主(たむらすぐり)、さらに伊勢神宮の大中臣氏族、大友氏族、小笠原氏族、清和源氏頼親流、淡路島の神職の田村氏、武蔵国多摩郡田村を発祥とする武蔵七党日奏(ひまつり)姓西党の田村氏などが知られています。

埼玉県秩父市田村にも田村屋敷、田村神社があり、淡路島の兵庫県淡路市中村には郡家城(ぐんげじょう=田村氏館)があり、三重県四日市市西富田には弘法山田村寺が、さらに滋賀県甲賀市土山町には田村神社が鎮座するなど全国各地にゆかりの地と推測できるスポットがあります。

都営三田線の御成門駅に西、JR新橋駅と御成門駅の中間には、一関藩主・田村建顕(田村右京太夫)の時代に浅野内匠頭長矩が切腹した一関藩上屋敷跡があります。
かつては田村家に因んで田村町と呼ばれていましたが、今は新橋4丁目に。
新橋4丁目交差点の角には浅野内匠頭終焉之地の石碑が立ち、和菓子屋「新正堂」では腹の開いた最中から餡が豪快にはみ出した「切腹最中」を売っています。
ブラックユーモアのような和菓子ですが、田村さんなら土産にいいかも。

京都でいえば、有名な清水寺(きよみずでら)を建立したのは坂上田村麻呂とのこと。
平安京遷都以前からの歴史をもつ古刹で、坂上田村麻呂が観音に帰依して観音像を祀るために自邸を本堂として寄進したと伝えられているのです。

とすれば、清水寺も田村さんにとっては重要なパワースポットということに。
清水寺の入口の仁王門を入り、西門、三重塔、鐘楼、経堂、田村堂(開山堂)、朝倉堂などを経れば「清水の舞台」と呼ばれる本堂の威容が聳えています。

征夷大将軍だけに田村さんは平定先の東北に多い

田村さんは東北、関東(群馬県で大姓18位)、四国(高知県で18位)に多いのが特長。

有名人では、戦前の映画俳優、歌舞伎役者として大活躍の阪東妻三郎(ばんどうつまさぶろう)は、本名が田村傳吉(たむらでんきち)。
東京府神田区(現・東京都千代田区)の生まれ。
俳優の田村正和ら、田村三兄弟はこの田村傳吉の息子です。

お笑いのロンドンブーツ1号2号の田村淳は、山口県下関市出身。
相方の田村亮は、大阪府高槻市出身。
柔道の谷亮子(田村亮子)は、福岡県福岡市の出身。
お笑いコンビ・麒麟のツッコミ担当の田村裕(たむらひろし)は、大阪府吹田市の出身です。

田村さんの代表家紋は、田村車前草(おおばこ)。
その他、田村竪引、剣梅鉢、亀甲に巴、竹に雀、鷹の羽、三つ巴、三つ引両、九曜など。

取材・編集協力/札場靖人(家紋と姓名研究家)
人口に関するデータは明治安田生命全国同姓調査による(2018年7月)推計値です

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