静岡県御前崎市、駿河湾と遠州灘を二分する御前崎(おまえざき)の先端の高台に建つのが御前埼灯台。R・H・ブラントン設計で明治7年5月1日初点灯のレンガ造りの灯台。日本の灯台50選、Aランクの保存灯台に選定されるほか、、隣接する旧官舎と合わせて、令和3年8月2日、重要文化財に指定されています。
R.H.ブラントン設計の歴史的な灯台は参観OK

黒潮と駿河湾の潮流が、激しくぶつかり合う沖合いは、昔から海の難所として恐れられてきました。
寛永12年(1635年)に見尾火灯明台(みおびとうみょうだい)を置いたのが前身です。
見尾火灯明台は、油を染み込ませた障子で囲んだ中に灯火を置いたものですが、藩政時代には御前崎沖が江戸と上方を結ぶすでに重要な航路であり、海の難所だったことがわかります。
灯明番として村民が2人づつ交代で灯火を守った油代と障子張紙代が幕府から支給されましたが、それでも海難事故は数多く発生していました(灯台下には身元不明の無縁墓が並んでいました)。
明治4年4月8日、旧幕府が建造した軍艦が、 灯明台沖合いのセイゴ根に座礁した事件が起こり、これを機に明治政府は灯明台を八角形のガラス張りに改装。
翌明治5年にイギリス人技師、リチャード・ヘンリー・ブラントン(Richard Henry Brunton)の設計・指導の元で様式灯台の建設が始まり、明治7年5月1日に初点灯しました。
海面から灯火部分までの高さは54m、光達距離は19.5マイル(10秒置きに光を発し36km先の沖合まで届きます)あります。
「日本の灯台50選」のひとつで、全国に23基しかないAランクの保存灯台。
「安全な船舶航行に貢献し我が国の海運業等を支えた燈台等建設の歩みを物語る近代化産業遺産群」にもなっっています。
灯火の回転式1等フレネルレンズ(フランス製)は日本初のもの(現在は、第3等大型フレネル式レンズ)。
またレンガ造りの灯台として参観できる日本最古の灯台にもなっています。
あまり知られていませんが、伊豆半島南端・石廊崎よりも南で、静岡県最南端にもなっています。



らせん階段を上って灯火部分に立とう!
現在でも基本的な構造は当時のままで、内部の見学も可能です(参観灯台)。灯火部分まで上れば、海抜54m(地上から構造物の頂部まで22.5m)、御前崎ナンバーワンの眺望を得ることができます。
晴れていれば、伊豆半島、富士山、南アルプス、遠州灘という大展望。
ただし、通年、風の強い場所であることに留意し、季節によっては防風対策が必要。
昭和32年に封切られた映画『喜びも悲しみも幾歳月』(松竹映画・木下恵介監督、佐田啓二・高峰秀子主演)のロケ地にもなっているほか、TVアニメ『大空魔竜ガイキング』(フジテレビ系昭和51年〜昭和52年放送)では、大空魔竜戦隊の秘密基地となったのが灯台一帯。
御前崎周辺に現存する明治時代の灯台3基
現在、全国で活躍する灯台のうち、明治時代に建造されたものは60基あまり。清水海上保安部管轄にも御前埼灯台を含め3基あります。
清水区三保にある清水灯台(通称:三保灯台)は、明治45年に造られた日本初の鉄筋コンクリート造りの灯台で、Aランクの保存灯台、近代化産業遺産群になっています。
もうひとつが、磐田市の天竜川河口左岸にある掛塚灯台で、こちらは明治30年に造られた灯台。
天竜川河口の輪中に位置する掛塚港(明治以前は掛塚湊)は、遠州随一の港としての栄華を誇っていました。そんな歴史を物語る掛塚灯台は、上部が鉄造、下部がコンクリート造という個性的な灯台です。
| 御前埼灯台 | |
| 名称 | 御前埼灯台/おまえざきとうだい |
| 所在地 | 静岡県御前崎市御前崎1581 |
| 関連HP | 御前崎市公式ホームページ |
| ドライブで | 東名高速道路相良牧之原ICから約23km |
| 駐車場 | 80台/無料(海岸道路沿いの駐車場から階段を利用) |
| 問い合わせ | 燈光会御前崎支所 TEL:0548-63-2550 |
| 掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 | |







































