法隆寺・大講堂
法隆寺のなかで最大の建造物が西院伽藍にある大講堂。僧侶が学問を研鑽したり、法要を執り行なうための施設で、創建時のものは鐘楼とともに925(延長3)年の落雷で焼失。現存する建物は990(正暦元)年に再建されたもので国宝。元…
法隆寺のなかで最大の建造物が西院伽藍にある大講堂。僧侶が学問を研鑽したり、法要を執り行なうための施設で、創建時のものは鐘楼とともに925(延長3)年の落雷で焼失。現存する建物は990(正暦元)年に再建されたもので国宝。元…
法隆寺の本尊を安置する堂が西院伽藍の金堂。本尊である金銅釈迦三尊像は、623(推古天皇31)年、聖徳太子の冥福を祈って、渡来系の仏師・鞍作止利(くらつくりのとり)に造らせたもの。中国北魏様式の影響を伝えるもので国宝。外観…
基壇からの高さ31.5mで、現存する日本最古の国宝五重塔が法隆寺西院伽藍の五重塔。五重塔の原形はインドのストゥーパーといわれ、本来は釈迦の遺骨を奉安するためのもの。中国で楼閣スタイルとなって仏教建築として日本に伝えられま…
律宗の総本山が唐招提寺。金堂は古代寺院における本堂を表す呼び名。唐招提寺の金堂は、奈良時代建立の建物で金堂としては現存唯一する奈良時代の建物。もちろん国宝に指定されています。平成の大修理も終わり、往時の姿を取り戻していま…
薬師寺・東塔は、730(天平2)年に造営されたと伝わる三重塔。高さ33.6mで各層に裳階(もこし)を付けているため六重に見えるのが特徴。薬師寺は、数度の災害と1528(享禄元)年の兵火により多くの堂宇は焼失していますが、…
東大寺の梵鐘は、大仏開眼と同年の752(天平勝宝4)年の鋳造といわれ、高さ3.86m、口径2.71m、重さ26.3tの大鐘。平重衡(たいらのしげひら=平清盛の五男)の南都焼討で焼失後、鐘を吊るした鐘楼は鎌倉時代の承元年間…
東大寺南大門の創建は奈良時代ですが、当初のものは平安時代に大風で倒壊。現存する南大門は、鎌倉時代、東大寺を復興した重源上人(ちょうげんしょうにん)により再建されたもので、1199(正治元)年から4年の歳月をかけ建てられた…
妻沼聖天(めぬましょうてん)で知られる埼玉県熊谷市の古刹で東京・浅草の待乳山聖天(本龍院)、奈良県生駒市の生駒聖天(宝山寺)と並んで「日本三大聖天」に数えられています(三重県桑名市の大福田寺、静岡県小山町の足柄山聖天堂と…
三井寺(園城寺)の勧学院は学問所として、鎌倉時代の1239(延応元)年に創立された塔頭(たっちゅう)。狩野光信による華麗な障壁画が部屋を飾る客殿は国宝に指定されています。現在の勧学院客殿は豊臣秀吉の闕所(けっしょ=堂舎の…
光浄院は、三井寺の山内で最も格式の高い子院で室町時代に山岡氏(甲賀郡の毛牧村を本拠地とした地侍で六角氏綱の下で「湖南の旗頭」となり、瀬田城を守った)によって建立された名刹。現在の客殿は豊臣秀吉の闕所(けっしょ=堂舎の破却…
大津市にある三井寺(みいでら)は正式には長等山園城寺(ながらさんおんじょうじ)といい、天台宗の総本山。金堂は1599(慶長4)年、豊臣秀吉の正室である北政所(ねね=高台院)により再建されたもので、国宝。
明治18年に着工し、当時の京都府の年間予算の約2倍という巨額の費用と約5年という歳月を費やして開通した琵琶湖疏水。琵琶湖の湖水を取水し、園城寺(三井寺)近くから隧道(トンネル)となって京都側に水を運んでいます。長さが24…
世界文化遺産にも登録される延暦寺は、788(延暦7)年に最澄(さいちょう)が開いた天台宗の総本山。琵琶湖と京都の間にそびえる比叡山(848.1m/大比叡)の山上に「三塔十六谷」と称する寺域が広がっています。創建以来120…
天橋立を東西南北から眺める「天橋立四大観」のうち、宮津湾・日本海側(東側)から天橋立の長大な砂州を眺めるのが雪舟観展望所(せっしゅうかんてんぼうしょ)。ここからの眺めが雪舟が描いた『天橋立図』(あまのはしだてず/国宝、京…
いわき市にある白水阿弥陀堂は福島県で唯一の国宝。1160(永暦元)年、岩城則道(いわきのりみち)の菩提を弔うため夫人である徳姫(藤原清衡の娘)が創建した願成寺の阿弥陀堂(正式名は願成寺阿弥陀堂)が創建時のままに現存。三方…
木曽川の河畔の小山の頂に建つ犬山城。松本城、彦根城、姫路城、松江城と並ぶ国宝5天守のひとつで、築かれた年代は最古級という天守です。木曽川を隔てた対岸は中山道の鵜沼宿(うぬましゅく)で、濃尾平野北端の交通の要衝に位置してい…
姫路城、彦根城、松本城、松江城と並ぶ国宝の天守が犬山城。天文6年(1537年)、鵜沼を対岸に木曽川を眼下にする要衝に織田与治郎信康(織田信長の叔父)が築いた天守は現存する日本最古の様式。木之下城(現・愛知県犬山市犬山愛宕…
毎年4月17日、静岡市の久能山東照宮で『御例祭』。江戸幕府を開いた徳川家康は、元和2年4月17日(1616年6月1日)没。駿府(現・静岡市)に隠居した後も大御所と呼ばれ、権勢を振るいました。没後は遺命で久能山に東照大権現…