飛鳥山公園

飛鳥山公園

東京都北区、JR王子駅前にある桜、アジサイの名所としても名高い区立公園が、飛鳥山公園(あすかやまこうえん)。明治6年、上野、芝、浅草、深川公園とともに太政官布達で開園した日本最初の公園。王子駅から高台の園地へは、あすかパークレール「アスカルゴ」が結んでいます。

児童エリア・遊具広場は子供たちにも大人気!

飛鳥山公園

もとは郊外の農村だったところを、8代将軍・徳川吉宗が江戸庶民のための遊興地として整備したのが、ルーツ。
上野・寛永寺に匹敵する桜の名所にすべく、1270本もの桜(当時はヤマザクラ=吉野桜)をはじめ、モミジ、松などが植栽しています。

現在はソメイヨシノやサトザクラなど650本のほか、1300株のアジサイ、10種1万5000株のツツジも植栽され、開花期には花見客で賑わいます。
園内東側には、「紙の博物館」、「北区飛鳥山博物館」、「渋沢史料館」のミュージアム3館が建っています。

子供たちに絶大な人気の児童エリア・遊具広場ですが、高さ7mを超える、3階建ての大型遊具「お城の遊具」は、令和2年12月にリニューアル。
遊具広場横には、都電6080、蒸気機関車D51853も静態保存されています。

明治34年から昭和初期にかけては、実業家・渋沢栄一の旧邸だったことから、「渋沢史料館」に隣接する旧渋沢庭園も一般に公開。
園内にある洋風茶室の晩香廬(ばんこうろ)と、栄一の書庫として利用された青淵文庫(せいえんぶんこ)は、ともに大正時代の築造で、国の重要文化財にも指定されています。

王子駅前の公園入口から山頂間に延長48m、斜度24度という斜行モノレール「あすかパークレール」も運行。

歌川広重が幕末に描いた『富士三十六景』の東都飛鳥山には、飛鳥山公園から眺めた富士が描かれていますが、探せば、今もマンションの上に富士山が顔を出すポイントがあります。

飛鳥山山頂モニュメント(公共基準点)は、愛宕山(港区)の標高25.7mに次ぐ、標高25.4mで、23区第2の高峰となっています(ただし練馬区では関町北4丁目・石神井高校で標高54mなど、平地でも標高が50mを超える場所もあります)。

また、あまり知られていませんが、公園内には飛鳥山1号墳という古墳時代後期の円墳も現存し、公園内では他にも古墳の周溝が確認されることから、飛鳥山古墳群と呼ばれています。

飛鳥山公園
歌川広重『富士三十六景』東都飛鳥山

徳川吉宗がヤマザクラを植え、遊興の地に

当時雑木林にすぎなかったこの一帯を徳川吉宗が着目したきっかけは、ここが自身の生誕地・紀州(和歌山)ゆかりの地だったから。

現在の王子神社(神仏習合時代には王子権現社)は、鎌倉末期に当地の領主・豊島氏が、紀州・熊野三山の祭神のひとつ「若一王子」を勧請したもので、「王子」という地名もそれがルーツ。

そのため、徳川吉宗は、元文2年(1737年)、飛鳥山を王子権現社に寄進して遊興の地に整備、周辺一帯は熊野信仰と花見、遊興の地としてにぎわったのです。
元文2(1737年)、徳川吉宗の功績を顕彰するために建立した「飛鳥山碑」は、寛政12年(1800年)頃刊行の、葛飾北斎『東都名所一覧 乾』、嘉永6年刊の歌川広重『江戸名所 飛鳥山花見乃図』にも描かれています。

明治初年の神仏分離で、神仏習合の王子権現社は王子神社へと改称され、さらに境内地だった飛鳥山は公園に変わったのです。

明治6年の太政官布達では、古くからの名所旧跡など多くの人が集まる遊興の地を、公園地するように定められ、東京府は上野恩賜公園(寛永寺境内)、芝公園(増上寺境内)、浅草公園(浅草寺境内)、飛鳥山公園(王子権現社境内)、深川公園(永代寺=富岡八幡宮別当)という寺の境内地を公園に変えた、「東京五公園」が誕生したのです。

飛鳥山公園
歌川広重『江戸名所 飛鳥山花見乃図』
飛鳥山公園
名称 飛鳥山公園/あすかやまこうえん
所在地 東京都北区王子1-1
関連HP 北区公式ホームページ
電車・バスで JR・東京メトロ南北線王子駅から徒歩2分
ドライブで 首都高速王子北ランプから約1.6km
駐車場 21台/有料
問い合わせ 北区道路公園課 TEL:03-3908-9275
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

飛鳥山公園の桜

上野公園などとともに明治6年に日本初の都市公園として開園した飛鳥山公園。もともとは、8代将軍・徳川吉宗が享保の改革の一環として公園を整備、ヤマザクラを植栽したのが始まり。江戸時代には庶民の手頃な行楽の場所として、春は花見の地として賑わいを見

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飛鳥山公園・旧渋沢庭園

飛鳥山公園・旧渋沢庭園

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渋沢史料館・晩香廬(飛鳥山公園)

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