台東区上野の上野公園に建っている「上野の西郷さん」は、西郷隆盛像ではもっとも古い銅像。西南戦争で、明治政府に反旗を翻した西郷は、いわゆる朝敵でもあったため、明治22年、大日本帝国憲法発布に伴う大赦によって西郷の「逆徒」の汚名が解かれたのをきっかけに、薩摩藩出身者が中心となって建設が計画され、高村光雲の作で築かれたもの。
エドアルド・キヨッソーネの肖像画を土台に制作
銅像建築にあたっては、全国2万5000余の寄付と宮内省から下賜された500円を利用し、明治31年12月18日に除幕。
高さ370.1cmで、画像で見ると頭が大きく感じますが、下から見上げた時に適正な大きさになるよう、遠近法を取り入れて、頭が大きく造られているため。
散歩姿と間違えられることが多いのですが、実際は兎狩りに出かける姿。
連れている犬も薩摩犬です。
いったんは「逆徒」だった西郷の陸軍大将軍服姿には反発があり、兎狩り姿になったのだとか。
イギリスの駐日公使であるアーネスト・サトウは、日記に西郷隆盛の印象を「黒ダイヤのように光る大きな目玉をしていて、しゃべる時の微笑には何とも言い知れぬ親しみがあった」と記しています。
西郷隆盛は写真が1枚も残されておらず、肖像画のように思える絵もイタリアの画家のエドアルド・キヨッソーネ(Edoardo Chiossone)が顔の上半分は西郷の弟の西郷従道、下半分はいとこの大山巌の顔をモデルに作り上げた「想像図」にすぎません。
しかし、キヨッソーネを招聘した印刷局の局長・得能良介は、西郷隆盛の親戚。
しかも依頼したのは息子・菊次郎なので似ていない肖像画を作るとは思えません。
上野の西郷隆盛像をイト夫人が初めて見たときに、「やどん主人は、こげな人じゃなかった」と語ったと伝えられていますが、これは似ていないということではなく、礼儀正しい人なので、人前で普段着は着ないという意味だった思われます。
キヨッソーネの肖像画を土台にしている「上野の西郷さん」は、顔は似ているけど、人前で正装していないのはおかしい・・・というのが結論です。
騎馬像にならなかったのも予算不足とか、「逆徒」だったことへの一部の反発とか、当時の世相を反映しているのです。
西郷隆盛像 | |
名称 | 西郷隆盛像/さいごうたかもりぞう Statue of Saigo Takamori |
所在地 | 東京都台東区上野公園5-20 |
関連HP | 東京の観光公式サイト |
電車・バスで | JR上野駅から徒歩5分 |
ドライブで | 首都高速上野ランプから500m |
駐車場 | 上野恩賜公園第一駐車場(100台/有料) |
問い合わせ | 上野恩賜公園管理所 TEL:03-3828-5644/FAX:03-3827-7752 |
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