東京都港区芝公園4丁目、日光東照宮、久能山東照宮、上野東照宮と並ぶ四大東照宮とも称されるのが、芝東照宮。徳川家康が没した翌年、元和3年(1617年)、徳川家菩提寺・増上寺の境内に創建された社で、還暦を迎えた徳川家康が命じて制作した等身大の寿像(木造徳川家康坐像)が御神体です。
徳川家康を祭神に江戸鎮護のため安国殿として創建
江戸時代、増上寺境内の徳川家康を祀る廟は、一品大相国安国院殿徳蓮社崇誉道大居士という戒名から安国殿と称されていました。
御神体は関ヶ原の戦い翌年の慶長6年(1601年)に制作されたもので、家康は隠居先の駿府城で自らこの像の祭儀を執り行なっています。
家康が病に倒れた際、駿府城に見舞った増上寺12世・源誉存応(げんよぞんのう=観智国師、徳川家康の関東入封に際して謁見し、檀越となる約束を交わした僧で、徳川家の菩提所として壮大な増上寺を造営)に「像を増上寺に鎮座させ、永世国家を守護なさん」と命じたのだと伝えられ、増上寺安国殿の造営奉行・土井利勝が駿府城から江戸へと移送しています。
寛永10年(1633年)、3代・徳川家光が社殿を造営し、旧社殿は開山堂に。
家光は、塗り師や大工など最高水準の技術者が集めて先代・徳川秀忠の台徳院霊廟もその横に建築し、それをプロトタイプとして日光東照宮を建築しているので、東京大空襲での焼失を免れていれば、一帯には日光東照宮のような絢爛豪華な社殿が並んでいたことに(台徳院霊廟は、東京プリンスホテルの敷地になり、惣門のみ現存)。
寛永18年(1641年)には駿府城から惣門を移築し、鳥居、拝殿、唐門、透塀などを築いて社殿が整っています。
明治維新の神仏分離で、増上寺から分離され、明治6年、東照宮と改称。
東京大空襲で社殿は焼失(寿像は焼失を免れ、東京都の有形文化財に指定)、現在の社殿は昭和44年の再建です。
徳川家光が植樹したと伝わる大イチョウは、東京都の天然記念物に指定。
例大祭は4月17日。
芝東照宮 | |
名称 | 芝東照宮/しばとうしょうぐう |
所在地 | 東京都港区芝公園4-8-10 |
関連HP | 芝東照宮公式ホームページ |
電車・バスで | 都営地下鉄芝公園駅からすぐ、御成門駅から徒歩2分。JR浜松町駅から徒歩12分 |
ドライブで | 首都高速芝公園ランプから約500m |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 芝東照宮社務所 TEL:03-3431-4802/FAX:03-3431-0793 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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