関ヶ原古戦場散策・徳川家康コース

関ヶ原古戦場・徳川家康コース

「岐阜関ケ原古戦場記念館」が設定する関ヶ原古戦場で徳川家康の足跡をたどる散策コースが、徳川家康コース。最初に布陣した桃配山(ももくばりやま)から、戦況を好転させるために移動した陣場野の徳川家康最後陣地まで、家康進軍の足跡をたどります。全行程7.8km、所要約2時間の中距離コースです。

START|岐阜関ケ原古戦場記念館

起点となるのは関ケ原町役場横にある岐阜関ケ原古戦場記念館です。
徳川家康コースを歩く前には、ここでまずは関ケ原合戦に至る歴史的な背景と、合戦に至る過程、古戦場の全貌などをマスターしておくのがいいでしょう。

岐阜関ケ原古戦場記念館

岐阜関ケ原古戦場記念館

岐阜県不破郡関ケ原町(関ケ原町役場横)、天下分け目の関ヶ原合戦を解説するミュージアムが、岐阜関ケ原古戦場記念館。関ヶ原古戦場のビジターセンター的な機能を有するだけでなく、教育的視点・体験的要素を重視して、関ヶ原合戦に至る過程を学び、合戦の推

松井忠吉・井伊直政陣跡

もともと、東軍の先鋒は福島正則が務めることが軍議で決まっていましたが、松井忠吉・井伊直政隊は、抜け駆けで合戦の火蓋を切っています(有名な「井伊の赤備え」の舞台です)。
9月15日の午前8時頃、福島隊の先頭隊長・可児吉長(かによしなが=可児才蔵)の制止を振り切って、宇喜多隊へ発砲し敵軍に戦を仕掛けています。
取り決めを破ってまでも戦の火蓋を切ったのかといえば、松平忠吉が初陣(ういじん)だったから。
井伊直政は本多忠勝とともに関ヶ原合戦に参戦した徳川四天王です。

関ヶ原古戦場 松平忠吉・井伊直政陣跡

JR東海道本線・関ヶ原駅に近い「東首塚」境内にあるのが松平忠吉・井伊直政陣跡。関ヶ原の戦いで、井伊直政は事実上の総大将で先鋒役の意識が強く、福島正則が東軍先鋒と軍議で決まり、周知されていたのにもかかわらず、娘婿でもある松平忠吉(まつだいらた

東首塚

徳川家康が床几場で首実検をしましたが、その首は関ヶ原の領主だった竹中重門(たけなかしげかど/秀吉の軍師だった竹中半兵衛の子)に命じて、手厚く葬っています(実際の埋葬作業を行なったのは、地元の住民)。
東首塚には「血洗の井戸」と呼ばれる井戸も現存しています。
西首塚近くに明治15年頃、長浜までの官設鉄道(現・東海道本線)を敷設の際に、おびただしい数の白骨が出土したと伝えられています。

関ヶ原古戦場・東首塚

JR東海道本線・関ヶ原駅にほど近い場所にあるのが関ヶ原古戦場・東首塚。関ヶ原駅西側の跨線橋(こせんきょう)で東海道本線を北側に渡ると、左手にスダジイの大木茂る広葉樹の森があり、そこが東首塚。諸将の首を東西2ヶ所に埋葬した首塚のひとつです。護

本多忠勝陣跡

徳川四天王(酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政)のひとり、知将として名を馳せた本多忠勝は関ヶ原合戦では東軍の軍監を務めています。
徳川の本隊は上田攻めに手こずり、関ヶ原合戦に間に合わなかった徳川秀忠軍だったため、本多勢も主力は子の本多忠政が率いて秀忠隊に従軍していました。
そのため手勢はわずかでしたが、90にも及ぶ首級を挙げており、この功績で伊勢国桑名を領有しています。
本多忠勝陣のすぐ南には烏頭坂があり、それを抑えるという意味合いもあって、十九女池西に陣を構えたのだと推測できます。

関ヶ原古戦場・本多忠勝陣跡

関ヶ原古戦場・本多忠勝陣跡

岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原、十九女池(つづらがいけ)西にあるのが、関ヶ原古戦場・本多忠勝陣跡。徳川四天王に数えられる本多忠勝は、勇猛なだけではなく知略も備えた名将として名を馳せていますが、関ヶ原合戦では軍監として参戦し、先陣となった松平忠吉

徳川家康最初の陣跡(桃配山)

関ヶ原の東の入口に位置する小高い丘、桃配山に最初の陣を構えた徳川家康。
東側から関ヶ原を俯瞰できる地で、敵将・石田三成の陣は3kmほど先にありました。
壬申の乱の際に、大友皇子軍を迎え撃つため、大海人皇子(おおあまのおうじ=後の天武天皇)が拠点とした地で、そのときここで山桃を配って戦に勝利したのが地名の由来。
桃配山に家康は厭離穢土・欣求浄土(おんりえど・ごんぐじょうど)の纏(まとい=馬印)を置き、軍議を開いています。
徳川家康が使用したとされる腰掛石と机石が現存。

関ヶ原古戦場・徳川家康最初の陣跡(桃配山)

関ヶ原宿から中山道を東の垂井宿を目ざすと関ヶ原の東の入口に位置する小高い丘がある。ここが桃配山。東側から関ヶ原を俯瞰できる地で、ここに関ヶ原に布陣した東軍・徳川家康は合戦の当初、この桃配山に陣を構え、戦(いくさ)の成り行きを見守ります。桃配

決戦地

関ヶ原合戦でも最大級の激戦が繰り広げられたのが笹尾山を背にする決戦地。
「天下分け目の関ヶ原」のなかのさらに天下分け目の地です。
家康が本陣を笹尾山近くに押し出したこともあって、石碑が立つ場所のすぐ西には笹尾山がそびえています。
南宮山に陣取る西軍・毛利秀元隊など3万3000の軍勢は、内応済みの吉川広家に道を阻まれて参戦できず、さらに内応を約していた小早川秀秋隊1万5000が東軍に寝返ったこともあって、形成は一気に東軍有利へと傾きます。
優勢となった東軍は、石田三成や諸将の首を狙って石田三成の本陣を目ざし、笹尾山の麓に陣取った島左近隊などの奮戦及ばす、西軍は総崩れとなります。

関ヶ原古戦場・決戦地

関ヶ原古戦場・決戦地

西軍有利な陣形で望んだ合戦(西軍は「鶴翼の陣形」)は序盤、実働部隊としての数で劣る西軍優勢で展開しますが事前に東軍に通じていた小早川秀秋隊の背反を契機に形勢は逆転。西軍の諸将が敗走するなか、関ヶ原合戦でも最大級の激戦が繰り広げられたのが笹尾

石田三成陣跡(笹尾山)

関ヶ原を見渡す絶好の立地にある笹尾山。
大垣城を出陣した三成は、笹尾山山頂に陣を構え、200m東に二重の柵(馬防柵・竹矢来)を築き、猛者で知られる島左近を左翼に、蒲生郷舎(がもうさといえ)を右翼に配し、総勢6000の兵で守備します。
関ヶ原合戦の陣形図も置かれ、眼下に東軍が怒涛のように押し寄せた決戦地を眺めることができます。
笹尾山には石田三成の旗印、「大一大万大吉」が翻っています。
「一人が万民のために、万民は一人のために尽くせば、天下の人々は幸福(吉)になれる」というラグビー(One for all, All for one=一人はみんなのために、みんなは一つの目的のために)にも通じるようなスピリットです。

関ヶ原古戦場・石田三成陣跡(笹尾山)

関ヶ原の北西の方角に位置し伊吹山から派生する尾根の末端に位置する笹尾山。国道21号のバイパスは笹尾山トンネルで通り抜けますが、実はこの笹尾山が関ヶ原の戦いで、西軍総大将・石田三成が陣を構えた一等地。山頂は関ヶ原を一望にできる展望地で、ここを

徳川家康最後の陣跡

関ヶ原合戦では、午前中にはすでに両軍が放った鉄砲の煙で、家康が陣取った桃配山からは戦況が掌握しづらくなっていました(当時の日本は、世界一の鉄砲保有量を誇っていました)。
そこで、徳川家康は、大胆にも石田三成陣取る笹尾山が目と鼻の先となる地へ、本陣を移します。
これが「徳川家康最後の陣」で、南宮山の毛利秀元が背後を付けば挟み撃ちに合うという背水の陣的な場所ですが、あえてこの地を選び、東軍の将兵を鼓舞したのです。
この陣脇の床几場で敵将の首実検が行なわれ、東西の首塚に葬られました。

関ヶ原古戦場・徳川家康最後の陣跡

東海道本線関ヶ原駅の北側、陣場野公園の一角にあるのが徳川家康最後の陣跡。中山道・関ヶ原宿の東、桃配山に陣を構えた家康は、合戦の最中に、東軍の動きを確認するため石田三成が陣を構えた笹尾山の東南1kmに位置する陣場野に陣を敷いています。家康は最

GOAL|岐阜関ケ原古戦場記念館

岐阜関ケ原古戦場記念館が設定する徳川家康コースのMAPです。
ダウンロードしてお使いください。

関ヶ原古戦場散策・徳川家康コース
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
石田三成陣跡

関ヶ原古戦場散策・石田三成コース

西軍の総大将・石田三成は、関ヶ原を一望にできる笹尾山に陣を構え、鶴翼の陣(かくよくのじん)で布陣しています。「岐阜関ケ原古戦場記念館」が設定する関ヶ原古戦場散策・石田三成コースは、全長9.4km、所要2時間20分のコースで、山中を通るため、

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