将軍家に最も近い親藩の城である甲府城で一番の高台である本丸に位置するのが天守台。天守台は台形状で、1590年代に築城された当時のままの野面積(のづらづ)みの石垣が現存しています。西側に配された階段で石垣の上に上がることも可能。実際に、ここに天守があったかどうかは定かでありません。
天守台には天守はなかった!?
天守台には天守が築かれていたのではないかとの説もあります。
山梨県教育委員会が近年、「天守閣等の復元の可能性の検討」、「甲府城の天守閣および歴史的建造物に関し必要となる史料収集と検討」を行なった結果、天守閣復元に関する史料は確認できませんでした。
その結果、豊臣時代に天守があった可能性は残るものの、裏付け史料が発見されないため、現在のところ復元の計画は立てられていません。
1664(寛文4)年の大改修時点ではすでに天守はなく、それ以降も建築された記録がないので、もし天守があったとしても江戸時代初期までとなるのです。
ちなみに1724(享保9)年、柳沢吉里(柳沢吉保の嫡男)が大和郡山へ転封となった後、甲斐国は幕府領(天領)となり、甲府城には旗本2名からなる甲府勤番が詰めていました。
つまりは、藩の権威を示す意味での天守の必要性も江戸中期以降にはなかったことになります。
甲府城・天守台 | |
名称 | 甲府城・天守台/こうふじょう・てんしゅだい |
所在地 | 山梨県甲府市丸の内1-5-4 |
関連HP | 甲府市公式ホームページ |
電車・バスで | JR中央本線甲府駅から徒歩5分 |
ドライブで | 中央自動車道甲府昭和ICから約5km |
駐車場 | パーキング山梨交通(121台)など周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 甲府市観光課 TEL:055-237-5702 |
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