東照公産湯の井戸(徳川家康産湯の井戸)

東照公産湯の井戸(徳川家康産湯の井戸)

愛知県岡崎市康生町、岡崎公園となった一角、岡崎城の坂谷曲輪(さかたにくるわ)に現存するのが、東照公産湯の井戸(徳川家康産湯の井戸)。東照公とは、死後、東照大権現として祀られた徳川家康のことで、天文11年12月26日(543年1月31日)、岡崎城二の丸御殿で生誕。

徳川家康は岡崎城・坂谷曲輪で生誕!?

二の丸御殿の地下遺構に井戸も発見されていますが、産湯の井戸は、本丸と二の丸の西側に位置する板谷曲輪の井戸とされています。
二の丸が御誕生曲輪と称される曲輪で、城主が居住する御殿が配されていたので、二の丸の石組井戸が産湯の井戸の可能性もありますが、近世文書に家康産湯の井戸と伝わるのは坂谷曲輪の井戸と記されているので、坂谷曲輪が産湯の井戸とされています。
家康は二の丸で生誕したのではなく、出産間際に産湯の井戸脇の、坂谷邸に移ったといわれるため。
ただし、松平館(現・豊田市の松平東照宮)の井戸水を竹筒に詰め、早馬で岡崎城へ運び、産湯に使われたという記録もあり、産湯の井戸に関しては定かでありません。

昭和11年に石塔が建立された東照公えな塚があり、家康生誕時にへその緒・胎盤を埋めて成長を願ったと伝えられていますが、こちらは本丸南側から移築したものです。

坂谷門は城東の大手門に対して裏門の搦手門(からめてもん)の役割を担っていましたが、関ヶ原の戦い後に城主となった本多氏により豊臣氏を睨み城西の防衛拠点するために構築されたもので、家康生誕時にはありませんでした。

開運出世の井戸、パワースポットとしての人気ゆえに、平成27年からは井戸の水をポンプで汲み上げ、直接水に触れられるようになっています。

東照公産湯の井戸(徳川家康産湯の井戸)
名称 東照公産湯の井戸(徳川家康産湯の井戸)/とうしょうこううぶゆのいど(とくがわいえやすうぶゆのいど)
所在地 愛知県岡崎市康生町561
関連HP 岡崎市公式観光サイト
電車・バスで 名鉄東岡崎駅から徒歩15分。または岡崎公園駅から徒歩10分
ドライブで 東名高速道路岡崎ICから約3km
駐車場 岡崎公園駐車場(229台/有料、8:30〜21:30)
問い合わせ 岡崎城 TEL:0564-22-2122/FAX:0564-22-2122
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東照公遺訓碑

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岡崎城

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徳川家康公像(岡崎公園)

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愛知県岡崎市、岡崎公園内に立つのが、徳川家康公像。徳川家康は、天文11年12月26日(1543年1月31日)、岡崎公園内二の丸(現在の能楽堂あたり)で生誕。昭和40年、『家康公350年祭』で建立されたのが岡崎公園の徳川家康公像で、碧海郡桜井

三河武士のやかた家康館

愛知県岡崎市康生町、岡崎公園となった岡崎城・本丸跡に建つのが、三河武士のやかた家康館。徳川300年を築いた徳川家康の人間像と、その歴史を家康とともに歩んだ三河武士を紹介する博物館。岡崎城の本丸跡、復興天守に寄り添うように建つ、ミュージアムで

龍城神社

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愛知県岡崎市康生町、徳川家康誕生の城、岡崎城の本丸に鎮座する神社が龍城神社(たつきじんじゃ)。明治9年に、 岡崎城三の丸にあった東照宮と岡崎城本丸に遷座、本多忠勝を祭神とする映世神社を合祀し、築城時に龍が出現して龍ヶ城とした故事か

岡崎公園

岡崎市の中心に位置する岡崎城跡に整備された公園。城塁や内堀が残り、往時を偲ばれる天守閣も再建されています。岡崎城は家康が生まれた城として知られ、公園内には「家康産湯の井戸」などゆかりの史跡が数多く残り、家康公の銅像や遺言碑も立てられています

徳川家康産湯の井戸(松平東照宮)

徳川家康産湯の井戸(松平東照宮)

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東照公えな塚

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愛知県岡崎市康生町、岡崎公園となった岡崎城・坂谷曲輪(さかたにくるわ)にあるのが、東照公えな塚。徳川家康は死後、仏式の山王一実神道により、東照大権現という神号で祀られましたが、家康の胞衣(えな=へその緒・胎盤)を埋めたと伝わるのが、生誕地で

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