青森県青森市浪岡にある中世の城跡が浪岡城跡(なみおかじょうせき)。昭和15年に青森県内で初めて国の史跡となった城跡で、室町時代の応仁年間(1467年〜1468年)頃、浪岡北畠氏4代・北畠顕義が築いたもの。土塁、壕跡などが残されるほか遺物などを展示する「青森市中世の館」が建っています。続日本100名城に選定。
「浪岡御所」と呼ばれた浪岡北畠氏の拠点
築城以前の一帯は聖地で、平安時代の文中2年(1373年)、平安京を模して敷地の四隅に祇園(現・北中野広峰神社)、八幡(現・浪岡八幡宮)、加茂(現・五本松加茂神社)、春日(現在は廃社)の各神社が創建されました。
室町時代の陸奥国国人領主(北畠家の流れを汲む陸奥の国司の一族)・北畠顕義(きたばたけあきよし)は、当初、東山根館(山根城)に住んでいましたが、浪岡城を築き、菩提寺の京徳寺も遷して城下町を整備しています。
北畠氏は浪岡を拠点としたことから「浪岡御所」と呼ばれ、一帯に勢力を維持していました。
城郭には城主の居館があった主郭のほか、新館、東館、猿楽館、北館、内館、西館、検校館と合計8つの郭があり、それぞれが幅20m、深さ5mほどの二重の壕で守られていました。
天正6年(1578年)浪岡北畠氏9代・北畠顕村(きたばたけあきむら/浪岡顕村)の代に大浦為信(後の津軽為信=津軽藩初代藩主)によって攻められ、家臣に内応者が出たこともあってあっけなく落城しています。
ビジターセンターとして機能する「青森市中世の館」には、浪岡城跡から出土した遺物(食器や調理器具、武器、農耕具、日用品、・宗教用具、建築関係用品など5万点以上発掘されています)の一部や推定復元模型などを展示し、中世の浪岡城の生活を顧みることができます。
ちなみに、青森県にある日本100名城選定の城は、弘前城(弘前市)と根城(ねじょう/八戸市)の2城。
続日本100名城は、この浪岡城のみとなっています。
浪岡城跡 | |
名称 | 浪岡城跡/なみおかじょうせき |
所在地 | 青森県青森市浪岡浪岡五所14-1 |
関連HP | 青森市公式ホームページ |
電車・バスで | JR浪岡駅から徒歩30分 |
ドライブで | 東北自動車道浪岡ICから約6km |
駐車場 | 24台/無料(臨時駐車場100台) |
問い合わせ | 浪岡城跡案内所 TEL:0172-62-0363 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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