中世に山の頂に築かれた山城のうち、岩村城(岐阜県恵那市)、高取城(奈良県高取町)、備中松山城(岡山県高梁市)の3城が「日本三大山城」。対する海を掘り代わりにした「日本三大水城」は、瀬戸内の高松城(香川県高松市)、今治城(香川県今治市)と豊後灘に臨む中津城(大分県中津市)の3城です。
日本三大山城
難攻不落を誇った「日本三大山城」ですが、山上にあり、中世に築かれたものが多いので(山上では不便なため近世城郭は平地に構築)、天守がない(あるいは現存していない)、建物も残されていない(明治維新以降は維持管理ができないために荒廃)などというマイナス面もあります。
中性的な城郭とされる山城ですが、日本三大山城の岩村城は、岩村藩(当初は2万石、後に3万石)、高取城は高取藩(2万500石)、そして備中松山城も備中松山藩2万石の藩庁です。
それぞれ小藩ゆえに、城下町に近世的な城郭を築かず、中世の山城を修築して活用していたのだと推測できます。
日本三大山城の中で、往時の天守が現存する備中松山城は、「天空の城」としても人気です。
岩村城
難攻不落の山城は「日本のマチュピチュ」と呼ばれることも
所在地:岐阜県恵那市岩村町城山
旧国名:美濃国
築城年:文治元年(1185年)、源頼朝の重臣・加藤景廉(かとうかげかど)が築いたのが始まり
内容:標高721mの城山の山頂に築かれた堅牢な山城
信濃と三河に通じる東濃の要衝に位置するため上洛を目指し美濃へ進出する武田信玄と、それに対抗する織田信長とがこの城を巡って攻防戦を展開
江戸時代には岩村藩の藩庁に
比高:180m
登城方法:登城口の太鼓楼から頂上本丸まで徒歩30分
備考:岐阜県の史跡、日本100名城
高取城
山上からは大和盆地を一望に
所在地:奈良県高市郡高取町高取
旧国名:大和国
築城年:南北朝時代の元弘2年・正慶元年(1332年)、南朝方の越智邦澄(おちくにずみ)が築城
内容:高取山(583.6m)山上に築かれた難攻不落を誇った城
高取山は南東に下れば吉野という地勢的にも重要な地で、山頂からは吉野、大峰、金剛の山々や大和盆地を一望に
越智氏が城主の時代には貝吹山城と呼ばれていましたが、天正13年(1585年)、豊臣秀吉から大和・和泉・紀伊を与えられた弟・豊臣秀長が家臣・本多正俊を配して大改修を行なっています
関が原の戦いの直前には、家康について上杉景勝討伐軍に加わった本多俊政の留守を突いて、石田三成軍が攻め寄せましたが、難攻不落の構えで撃退
元和元年(1615年)の一国一城令の際も、重要な山城として破却を免れ、日本屈指の山城としての姿は存続
比高:350m、城下町から450m
登城方法:山麓の壺阪寺から徒歩50分
備考:国の史跡、日本100名城
備中松山城
現存12天守としては最高所に建ち、まさに「天空の城」
所在地:岡山県高梁市内山下1
旧国名:備中国
築城年:近世城郭は天和3年(1683年)、水谷勝宗(みずのやかつむね)が築城
内容:臥牛山(487m)の山上が城域で、現存12天守のうちでも唯一の山城(天守の標高は430m)
雲の上にそびえる城郭は「天空の城」として人気
大石良雄(大石内蔵助)が城番となったこともあります
天守、二重櫓、土塀の一部(三の平櫓東土塀)は建築当時のままに現存し、国の重要文化財
比高:290m
登城方法:車の終点ふいご峠から本丸へは山道を徒歩20分(滑りやすい場所もあるので歩きやすい格好と靴で入城を)
備考:国の史跡、日本100名城、現存12天守
日本三大水城
日本三大水城は、復元されたものも含んで天守など建築物が多いので写真映えするのが利点。
マイナス面は、埋め立てや市街化が進み、城を取り囲んだ海や堀の多くが失われている点です。
「讃州さぬきは高松さまの城が見えます波の上」といわれる高松城は「日本三大水城」筆頭といえるでしょう。
高松城
堀には現在も瀬戸内海の海水が引き込まれている
所在地:香川県高松市玉藻町2-1
旧国名:讃岐国
築城年:天正16年(1588年)、豊臣秀吉の重臣・生駒親正(いこまちかまさ)が築城
内容:往時は、北側は瀬戸内海に面し、残り3方向は内堀、中堀、外堀の3重の堀に囲まれ、瀬戸内の船頭歌に「讃州さぬきの高松さまの城が見えます波の上」と唄われた海城
玉藻公園として整備され、日本の歴史公園100選に選定(史跡指定部分も往時の城郭の8分の1ほどの規模)、堀には現在も瀬戸内海の海水が引き込まれ、養殖の鯛が放流されています
北の丸に重要文化財の月見櫓(つきみやぐら)、水手御門、渡櫓や艮櫓(うしとらやぐら)が現存
天守:小倉城を模した3層5階の天守(天守台の石垣のみ復元)
備考:国の史跡、日本100名城
今治城
築城の名手・藤堂高虎が築いた水城
所在地:愛媛県今治市通町3-1-3
旧国名:伊予国
築城年:慶長9年(1604年)、築城の名手・藤堂高虎の築城
内容:三重の濠に海水を引き入れた海岸平城で、濠には御船蔵も設置されていました
城域は一辺600mの正方形で、中央部に本丸、二の丸、三の丸を配し、櫓数は23
周囲に幅50mの内濠、さらに中濠、外濠を構え、海水を引き入れていました
5層6階の模擬天守は昭和55年の再建、二の丸の山里櫓、御金櫓、鉄御門(くろがねごもん)、多聞櫓5棟なども再建されています
備考:愛媛県の史跡、日本100名城
中津城
築城の名手・黒田官兵衛が築いた水城
所在地:大分県中津市二ノ丁1273
旧国名:豊前国
築城年:天正16年(1588年)、黒田孝高(くろだよしたか=黒田如水・黒田官兵衛)の築城
内容:黒田孝高が普請した石垣は、天正16年(1588年)に積まれたもので現存する近世城郭の石垣としては九州最古
天守の存在は定かではありませんが、黒田孝高の手紙に「天守に銭を積んで蓄えた」と記載
藩政時代は中津藩の藩庁で、幕末には慶應義塾の源流にもなりました(福沢諭吉は中津藩士の子で、中津藩大坂蔵屋敷で生誕)
昭和39年に再建された復興天守は、中津城(奥平家歴史資料館)として入城可能
備考:大分県の史跡、続日本100名城
日本三大山城VS日本三大水城 | |
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