仙波東照宮
1616(元和2)年に没した徳川家康の法要は、久能山から日光山輪王寺に改葬される際の1617(元和3)年3月23日〜26日に川越の喜多院で執り行なわれています。その際に、後水尾天皇から東照大権現の勅額が下賜されていますが…
1616(元和2)年に没した徳川家康の法要は、久能山から日光山輪王寺に改葬される際の1617(元和3)年3月23日〜26日に川越の喜多院で執り行なわれています。その際に、後水尾天皇から東照大権現の勅額が下賜されていますが…
JR東海道本線・関ヶ原駅にほど近い場所にあるのが関ヶ原古戦場・東首塚。関ヶ原駅西側の跨線橋(こせんきょう)で東海道本線を北側に渡ると、左手にスダジイの大木茂る広葉樹の森があり、そこが東首塚。諸将の首を東西2ヶ所に埋葬した…
西軍有利な陣形で望んだ合戦(西軍は「鶴翼の陣形」)は序盤、実働部隊としての数で劣る西軍優勢で展開しますが事前に東軍に通じていた小早川秀秋隊の背反を契機に形勢は逆転。西軍の諸将が敗走するなか、関ヶ原合戦でも最大級の激戦が繰…
東海道本線関ヶ原駅の北側、陣場野公園の一角にあるのが徳川家康最後の陣跡。中山道・関ヶ原宿の東、桃配山に陣を構えた家康は、合戦の最中に、東軍の動きを確認するため石田三成が陣を構えた笹尾山の東南1kmに位置する陣場野に陣を敷…
関ヶ原宿から中山道を東の垂井宿を目ざすと関ヶ原の東の入口に位置する小高い丘がある。ここが桃配山。東側から関ヶ原を俯瞰できる地で、ここに関ヶ原に布陣した東軍・徳川家康は合戦の当初、この桃配山に陣を構え、戦(いくさ)の成り行…
三井寺唐院三重塔は室町時代初期の建築で、1597(慶長2)年に秀吉が伏見観月橋下に移築した大和の比蘇寺(ひそでら=現在の世尊寺)の東塔を、1600(慶長5)年に徳川家康が三井寺に寄進したもの。国の重要文化財で、一層目の須…
膳所城(ぜぜじょう)は、徳川家康が関ヶ原の合戦の翌年1601(慶長6)年に、築城の名手といわれる藤堂高虎(とうどうたかとら)に命じて築いた城。大津市の市街地に本丸跡が膳所城跡公園として整備され、周辺には城下町の風情も残さ…
703(大宝3)年に利修仙人(りしゅうせんにん)が開山したと伝えられる古刹、鳳来寺(ほうらいじ)。真言宗五智教団(しんごんしゅうごちきょうだん)の本山で、文治年間(1182〜1189年)に源頼朝が堂宇を建立、鎌倉時代には…
3代将軍・徳川家光が造営を発願して創建されたのが鳳来山東照宮(ほうらいさんとうしょうぐう)。完成は1651(慶安4)年、4代将軍・徳川家綱の時代で、日光東照宮を模して建てられた本殿は、江戸初期の建築法を残す貴重なものとし…
紀州藩初代藩主の徳川頼宣(とくがわよりのぶ)が父・家康の霊を祀るため、南海道の総鎮護として1620(元和7)年に創建した古社。駿河の久能山に似た和歌浦を望む地を選んで造営し、後に頼宣自身も祀られています。祭神は東照大権現…
甲府城(舞鶴城)の北辺、稲荷曲輪(いなりくるわ)の復元櫓。稲荷曲輪御櫓(いなりくるわおんやぐら)が正式な名称で、城内の鬼門の北東に位置することから御艮櫓(おんうしとらやぐら)とも呼ばれ、藩政時代には武具蔵として使われまし…
甲斐国の府中という意味で武田信虎が居館を躑躅ヶ崎館(現在の武田神社)に移した際に甲府と名付けられましたが、現在の甲府駅近くにある甲府城は、豊臣時代に築城以降の近世の城跡。江戸時代には徳川家の西への守りとして機能しました。…
北条早雲をはじめとする後北条氏が、5代96年におよぶ栄華を極めた小田原城。後北条氏は、居館を現在の天守の周辺に置き、小田原高校の建つ八幡山に詰めの城を配しました。豊臣秀吉の小田原攻めに対抗するために周囲9kmにも及ぶ土塁…
西尾城の一部を復元した歴史公園。西尾城の前身は、承久の乱(1221年)の戦功によって三河国守護となった足利義氏(あしかがよしうじ)が築城した西条城。足利氏は吉良氏(きらし)と改め、吉良荘を統治。江戸時代に家康の命で酒井重…
松平4代の松平親忠(安祥城主)が、1488(長享2)年年頃に創建した松平徳川家の総氏神が伊賀八幡宮。徳川家康が社殿を造営。その後、3代将軍・徳川家光が社殿を拡張し東照宮(家康)を祭神に加えています。徳川家康の立身出世にあ…
長篠城は、豊川(寒狭川)と宇連川(三輪川)の合流地点に位置し、ふたつの川を堀に見立てた天然の要害。「長篠城址史跡保存館」は、国指定史跡の長篠城本丸跡脇に建つ城を模した博物館で、戦国時代の武具や出土品を収蔵展示しています。
長篠城(ながしのじょう)は、今川氏親の家臣、菅沼元成が1508(永正5)年に築いた城。1575(天正3)年の長篠の戦いで、時の城主・奥平貞昌(おくだいらさだまさ=奥平信昌)がわずか500の兵で籠城し、1万5000という大…
松平4代の松平親忠(安祥城主)が、1475(文明7)年に創建した寺で、松平家(のちの徳川将軍家)の菩提寺。桶狭間(おけはざま)の合戦で今川義元が敗れたとき、大高城から松平元康(徳川家康)が逃げ帰ったのがこの大樹寺です。先…