旧魚梁瀬森林鉄道施設・五味隧道
高知県安芸郡馬路村にある魚梁瀬杉(やなせすぎ)を搬出するのに活躍した森林鉄道の隧道(ずいどう=トンネル)跡が旧魚梁瀬森林鉄道施設・五味隧道(ごみずいどう)。明治44年の開通時に建造された石造隧道で、上流側には石積みのアー…
高知県安芸郡馬路村にある魚梁瀬杉(やなせすぎ)を搬出するのに活躍した森林鉄道の隧道(ずいどう=トンネル)跡が旧魚梁瀬森林鉄道施設・五味隧道(ごみずいどう)。明治44年の開通時に建造された石造隧道で、上流側には石積みのアー…
NHKのドラマとしても注目を集めた司馬遼太郎原作の『坂の上の雲』。明治維新以降の日本の近代化、西洋列強に肩を並べることを目標に日露戦争へと突き進む富国強兵政策を描いています。その『坂の上の雲』に登場する艦船と兵器が、横須…
掩体壕(えんたいごう)とは滑走路近くに飛行機を隠しておくコンクリート製の格納庫。軍事施設への爆撃から飛行機を守るため、頑丈な格納庫が造られたのです。それが千葉県館山市宮城地区に現存しています。
館山市佐野の田園地帯に赤レンガの遺構が残されています。これが、全国から館山に収集された予備学生が過酷な教育を受けた館山海軍砲術学校の炊事場の跡。館山に散在する戦争遺跡は、地元NPOの平和教育などに活用されています。
平成19年に築城400周年を迎えた熊本城(熊本県熊本市)で、熊本城第2期復元整備計画(平成20年度~平成29年度)で復元が行なわれたのが本丸御殿。本丸御殿大広間が一般公開され、居間であり、対面所(接客の場)としても使用さ…
史跡とは、「貝塚、古墳、都城跡、城跡、旧宅、その他の遺跡で、我が国にとって歴史上または学術上価値の高いもの」のうち重要なもの(文化財保護法)。そのなかから選ばれた3ヶ所が日本三大史跡で、多賀城跡(宮城県多賀城市)、平城宮…
戦国時代末期から江戸時代初頭に築かれた城は、まだまだ防御が重視されていました。湖を堀代わりに、さらに物資輸送などに湖上交通を活用したのが「湖城」です。諏訪湖の高島城(長野県諏訪市)、琵琶湖の膳所城(ぜぜじょう/滋賀県大津…
元和5年(1619年)頃~明治2年の間、芦ノ湖の湖畔に設置されたのが箱根関所(神奈川県箱根町)。江戸を守る重要な関所として俗にいう「入り鉄砲と出女」を厳しく取り締まったのが箱根関所です。平成19年3月に古文書をもとに京口…
箱根カルデラの外周に連なる箱根外輪山のうち、金時山の北側に位置する峠が足柄峠(あしがらとうげ)。古代の東海道、足柄路(矢倉沢往還)で、ここの坂から東が古代の坂東(ばんどう)となります。現在は神奈川県(南足柄市)と静岡県(…
最初の蒙古襲来・文永の役後の建治2年(1276年)、鎌倉幕府執権・北条時宗が元軍の再襲来に備えて九州の諸武将に命じて築かせた石築地が元寇防塁。博多湾岸の東西に20kmにも渡って延び、9ヶ所ほどが現存(国の史跡)しますが、…
文永11年10月20日(1274年11月19日)、元軍は博多湾(現・福岡県福岡市)に襲来し、主力部隊となる蒙古・漢軍は百道原に上陸、祖原、鳥飼、赤坂の一帯が激戦の地となりました。元軍の一部隊が陣を構えた古戦場のひとつが祖…
福岡県福岡市東区にある陸繋島の志賀島(しかのしま)。古代、大陸への玄関口で、金印(漢委奴国王印)出土で有名ですが、鎌倉時代の元寇(蒙古襲来)では、元軍と日本軍(鎌倉幕府軍)との激戦地にもなっています。蒙古塚は、戦死した蒙…
二度にわたる博多湾への元寇(げんこう)のうち、文永の役後の建治2年(1276年)、鎌倉幕府執権・北条時宗が元軍の再襲来に備えて九州の諸武将に命じて築かせた石築地が元寇防塁。福岡市早良区の西新地区(にしじんちく)は、当時、…
北前船の寄港地である日本海側の各湊(各港)には、金刀比羅社が建つことが多いのですが、富山県富山市、神通川河口の東岩瀬地区に鎮座する金刀比羅社もそのひとつ。創建は江戸時代後期の文政3年(1820年)で、当時は神仏習合で栄え…
富山県富山市、富山外港の岩瀬港のシンボルとなっている展望台が富山港展望台。建つ場所は、かつて北前船の交易で栄えた神通川河口の東岩瀬地区。高さ24.58mの展望台は、近くに建つ金刀比羅社(琴平社)の常夜燈をイメージ。常夜燈…
古代、越中国の国府(国庁が置かれた場所)は、現在の富山県高岡市伏木にありました。歌人としても名高い大伴家持(おおとものやかもち)が越中国の国守として在任中の天平18年(746年)、宇佐神宮から宇佐八幡神を勧請して創建した…
鳥取藩の藩倉が置かれた由良湊(現・鳥取県北栄町)に元治元年(1864年)に築かれたのが由良台場。往時の原型を完全な姿で保存している日本唯一の貴重な史跡で、お台場公園として整備されています。鳥取藩最後の藩主・池田慶徳(いけ…
鳥取県境港市の境水道に隣接する公園が境台場公園。幕末の文久3年(1863年)に鳥取藩が外国艦船への防備のため藩内の海岸部に築いた砲台(台場)8ヶ所(因幡国3ヶ所、伯耆国5ヶ所)のひとつ、鳥取藩境台場跡です。往時の遺構が残…