名護屋城・本丸
豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に、外征基地として築いた城が名護屋城(佐賀県唐津市)。北西に壱岐、対馬の島影を視認し、加部島が防波堤の役割をする地に築いた、当時、大坂城に次ぐ規模の巨城です。その中心で、丘陵の高台に位置し、五層の天…
豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に、外征基地として築いた城が名護屋城(佐賀県唐津市)。北西に壱岐、対馬の島影を視認し、加部島が防波堤の役割をする地に築いた、当時、大坂城に次ぐ規模の巨城です。その中心で、丘陵の高台に位置し、五層の天…
岡山県岡山市北区にある備中高松城主・清水宗治首塚。羽柴秀吉は、備中高松城の水攻めの際、本能寺の変で織田信長が討たれたことを秘匿して、城主・清水宗治の自刃で和睦を実現しています。清水宗治首塚は、明治43年、羽柴秀吉の本陣跡…
岡山県岡山市市北立田に残る備中高松城の戦いの史跡が高松城水攻め史跡公園(蛙ヶ鼻築堤跡)。備中高松城の南側に2.6kmにわたる堤をわずか12日間で築き、人工の湖を出現させた「備中高松城の水攻め」。織田信長の命を受けた羽柴秀…
兵庫県三木市、神戸電鉄粟生線・三木上の丸駅(みきうえのまるえき)のすぐ南、美嚢川に臨む中世の平山城跡が三木城(上の丸公園・上の丸稲荷神社)。明応元年(1492年)頃、東播磨八郡を領有した別所則治(べっしょ のりはる)が築…
福岡県行橋市の南西、標高216mと208.7mの双耳峰・馬ヶ岳山頂にある中世の山城が馬ヶ岳城。その築城は古く、天慶5年(942年)、源経基(みなもとのつねもと)による築城と伝えられています。天正15年(1587年)には、…
京都府乙訓郡大山崎町にそびえる標高270mの山、天王山。西山腹が摂津国(大阪府)と山城国(京都府)の国境に位置し、山城盆地の西にそびえる西山の南端。山頂近くに位置する酒解神社(さかとけじんじゃ)が牛頭天王を祀ることがその…
静岡市清水区の興津(おきつ)、清水港や三保松原を望む高台にあり、「興津(おきつ)の清見寺」として知られる臨済宗の名刹。その歴史は古く、創建は7世紀頃と伝えられています。天文8年(1539年)、今川義元の軍師・大原雪斉によ…
小田原から箱根へと上る箱根ターンパイク沿いにある標高262mの尾根状のピークが石垣山。ミカン畑が広がるのどかな山ですが、東は相模湾に臨み、北は小田原市街を眼下にするという立地から、戦国時代末に豊臣秀吉が「石垣山一夜城」を…
有馬温泉(兵庫県神戸市北区有馬町)の見晴らしの良い高台に建つ寺で豊臣秀吉の正室、北の政所(ねね)の別邸跡と呼ばれているのが念仏寺。寺の創建は天文7年(1538年)で谷之町にあったものが慶長年間(1596年〜1615年)に…
兵庫県神戸市北区の有馬温泉にある古刹、極楽寺(ごくらくじ)。寺伝では推古天皇元年(593年)に聖徳太子が創建したと伝えています。本尊は阿弥陀如来ですが、有馬温泉を大火から守る火除け観音があることで有名。現在の境内は、豊臣…
有馬温泉(兵庫県神戸市北区有馬町)の温泉街に7ヶ所ある源泉のひとつで、極楽寺の裏手にあるのが極楽泉源。細い路地の奥にあるので見落としがちですが、豊臣秀吉が造らせた湯殿「湯山御殿」へ温泉を送っていたのは実はこの源泉。つまり…
静岡市街の中心地、駿府城公園は、将軍職を徳川秀忠に譲り大御所時代の駿府城の跡だとされています。全国の大名に命じて(天下普請)築城させたのが現在の駿府城です。それは歴史的事実なのですが、駿府城の天守台跡の発掘調査で、豊臣秀…
推古天皇元年(593年)、聖徳太子が建立した、敬田院、施薬院、療病院、悲田院のうち、薬草を植えた施薬院が創始という古刹が大阪市天王寺区にある愛染堂勝鬘院(あいぜんどうしょうまんいん)。聖徳太子が勝鬘経(しょうまんきょう)…
京都市街を流れる鴨川に架かる、江戸時代の東海道と中山道の終点となる三条大橋。現在の橋は昭和25年に架橋されたものですが欄干には豊臣秀吉の命により改修された時代の擬宝珠も配されています。室町時代初期には、簡素な構造の橋が架…
『古事記』に「伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)は淡海(=近江)の多賀に坐す」と記された滋賀県多賀町の多賀大社。「お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる」、「お伊勢七度熊野へ三度 お多賀さまへは月参り」と謳わ…
毎年4月9日~4月16日、滋賀県長浜市で『長浜曳山まつり』が開催されます。日本三大山車祭(長浜・祇園・高山)のひとつで、国の重要無形民俗文化財に指定される『長浜曳山まつり』。安土桃山時代、長浜城主の羽柴秀吉(後の豊臣秀吉…
世界文化遺産「古都京都の文化財」の構成資産のひとつ、真言宗醍醐派総本山・醍醐寺。下醍醐と山上の上醍醐に分かれていますが、下醍醐伽藍の中心が金堂。「醍醐の花見」を開いた豊臣秀吉の命で、紀州国湯浅(現・和歌山県湯浅町)の満願…
天正15年(1587年)、豊臣秀吉により戦歿将兵の慰霊のために建立された857畳の大経堂が、宮島の千畳閣。神仏分離で、明治5年に大経堂を千畳閣と改称し、本尊・釈迦如来座像などの仏像を大願寺に移し、豊国神社(とよくにじんじ…